HOME

「今月のメロディー」バックナンバー
(リンク先の Youtube 動画が著作権侵害で削除されている場合がある)

    2024年2月
Charade
Johnny Hartman
久しぶりに Johnny Hartman に登場してもらおう。私が高校生くらいの時にFEN(Far East Network、現在の AFN)で歌声を聞いて好きになったジャズシンガーだ。一般的にはそれほど知られていなかったが、私は Nat King Cole、Frank Sinatra、Tonny Nennett ら有名歌手よりもより”ジャズっぽい” Johnny Hartman が好きで、かなりレコードを集めた。
     
  2024年1月
Get My Mojo Back
海野雅威/Tadataka Unno
海野雅威 Tadataka Unno は、2020年9月27日、コロナ禍のニューヨークにてアジア人ということだけで襲われ重傷を負った。直後はピアノが弾けないほどの状態で再起が危ぶまれたが、米日で約半年に及ぶ治療を行った後、2021年に再度ニューヨークへ渡航し、同年8月にジョン・ピザレリ・トリオで演奏に復帰した。彼が負傷した時には GoFundMe で彼への募金運動が行われ、私も少しヘルプしたが、こうやって完全復帰した海野を見るとホッとする。
     
  2023年7月
Day-O (The Banana Boat Song)
Harry Belafonte
ハリー・ベラフォンテは、今年4月25日に96歳でニューヨークで亡くなった。約半世紀前、私がポピュラーソングを好きになった頃、どういうわけか、ハリー・ベラフォンテはずいぶん”昔の歌手”のように思えた。「Day-O」の他、「マティルダ」「ハヴァナギラ」などのヒット曲が、その頃すでにヒットの峠を越えていたからだ。また、曲のイメージから、彼はカリブ海の国の出身のように思っていたが、ニューヨーク出身だったのも意外だった。
     
  2023年5月
Mona Lisa
Nat King Cole
"Mona Lisa" といえば、Nat King Cole の代名詞のような曲だが、なんと、これまでここで取り上げたことがなかったようだ・・・(^^;)。Cole は、1965年に46才という若さで肺がんで亡くなった。それには彼が喫煙について大きな誤解をしていたことが関係していたようだ。彼が亡くなる少し前、ある人が Cole に「どうしてそんなにタバコを吸いながら歌手でいられるのか」と尋ねると、Cole は次のように答えた。「喫煙は、歌手が観客に愛されるハスキーなサウンドを声に出すのに役立つのです」。
     
 2023年5月
峠の幌馬車 Wheels
ビリー・ヴォーン Billy Vaughn
今月は超懐かしいメロディーを取り上げてみた。なぜか群馬県の山村でラジオ関西の電話リクエスト番組が聞けて、そこで毎晩のように演奏された曲の一つがこれだ。ビリー・ヴォーン・オーケストラはあのころ、作れば何でもヒットするような勢いで、それはすごいオーケストラだった。しかし、今聞いてみると、なんとも単調なメロディーで、こんなのに夢中になっていたのかと思うと汗が出てくるよ・・・我慢して聞いてね・・・(^^;)。
     
 2023年4月
さらば青春
小椋佳
小椋佳の初期の作品で、私がまだ二十歳くらいだった頃、友だちが貸してくれた小椋佳のアルバムに入っていた。小椋佳は1944年生まれと言うから来年80歳だ。2021年ころから引退ツアーが何度か予定されたが、新型コロナパンデミックなどの影響で伸び伸びになっていた。そして、今年1月18日にNHKホールで最後のコンサート『小椋佳ファイナル・コンサート・ツアー「余生、もういいかい 最後にもう1回 特別追加公演」』を開催し、コンサート活動から引退した・・・となっている。でも、まだまだ引っ込まないんじゃあないの・・・本当に好きみたいだから、歌うのが・・・(^^;)。
    
2023年3月
Sway
Michael Buble
久しぶりに、ここ Burnaby 出身の歌手 Michael Buble マイケル・ブーブレに登場してもらおう。1975年に Burnaby で生まれた Buble は、イタリア系、クロアチア系の家系で、ジャズが好きだった祖父のレコードを聞いて育った。ロックンロールや現代音楽が好きだった Buble だが、祖父の影響でそうした”古い音楽”にはまり込んでいき、特に祖父が初めて Mills Brothers を聴かせてくれたとき不思議なことが起こったという。歌詞がとてもロマンチックでリアルで、歌はこうあるべきだと思ったというのだ。う〜ん、たしかに Michael Buble のレパートリーは一昔も二昔も前の古い歌手たちの持ち歌がほとんどだが、それでも、あれほどのファンがつく。いい音楽はいつまで経ってもいい音楽だってことだね。
    
    2023年2月  
Gloomy Sunday 暗い日曜日
Mel Torme
今月は、”暗〜い”曲を選んでみた。私が若い頃よく聞いた Mel Torme のアルバムに入っていたこの曲は、1933年にハンガリーで発表された。曲調、歌詞ともに陰鬱さを醸し出したこの曲は「自殺ソング」として、またヨーロッパやアメリカでは「自殺の聖歌」として知られている。歌詞の内容は、暗い日曜日に女性が亡くなった恋人を想い嘆くというもので、最後は自殺を決意するという一節で終わる。この曲を聴いて世界中で数百人が亡くなったと言われているが、この曲と自殺との因果関係は定かではないらしい・・・(-_-;)。
    
    2023年1月  
Caruso
Jonathan Antoine
昨年暮れに Youtube で音楽を聞いていたら、Jonathan Antoine というイギリス人歌手が歌う「O Holy Night」に出会い、その歌声に圧倒された。なんとも迫力のある歌声だ。大きな体をしているが、1995年1月13日生まれというからまだ28才直前の若者だ。2012年にイギリスの新人発掘番組「Britain's Got Talent 2012」に出場して、その歌声が知られるようになったという。ここでは、スタンダードな Caruso を取り上げたが、よりポピュラーな曲・・・たとえば「Country Roads」・・・もとてもいい。なお、私は O Holy Night などの音楽は好きだが、クリスチャンではない・・・(^^;)。
   
   2022年12月  
明日に架ける橋
Kodi Lee (盲目で自閉症の歌手)
少し前に「ぶつくさ日記」に書いたアメリカの歌手 Kodi Lee に登場してもらおう。Kodi Lee は2019年にアメリカの新人発掘番組 America’s Got Talent に出場した人で、この動画は彼が同番組の準々決勝に出場した時のものだ。彼は結局、その年の同番組で優勝した。Kodi Lee は盲目で自閉症を抱えているが、音楽的にすごい才能の持ち主で、たとえば曲を一度聞いたらすぐに覚えてしまう。自閉症の子供を持つ女性が、バンクーバーのホテルで行われた自閉症の子供達のための募金イベントで Kodi の歌を聞いた。彼女は、彼のパフォーマンスが「衝撃的だった」と話す。「Kodi の生活の裏側を知っているからこそ、圧倒されるんです・・・それはこのイベントの素晴らしい締めくくりでした」。
   
  2022年11月  
鈴懸の径 Platanus Road
鈴木章治とリズムエース 1987
鈴木章治がジャズにアレンジしてヒットしたこの曲は、もともとは、灰田勝彦が歌って1942年(昭和17年)にビクターレコードから発売されたのだそうだ。私は、灰田勝彦の名前は知っているが、どんな歌手かはさっぱりわからない。私が生まれる前の歌だしね・・・(^^;)。鈴木章治は、1954年頃に彼が率いる楽団「リズムエース」の演奏で吹き込んでヒットさせた。1957年には、ベニー・グッドマン楽団のピーナッツ・ハッコー Peanuts Hucko がクラリネット奏者としてリズム・エースに参加して録音・放送したら、リクエストが殺到したという。そんななつかし〜い曲をお楽しみあれ・・・(^^)。
   
  2022年10月  
Autumn In New York
Diana Krall
Youtube で秋の歌を探したら、一番上にこの曲が出てきた。Diana Krall(ダイアナ・クロール)はバンクーバー島 Nanaimo の出身で、今やジャズボーカルの世界ではトップクラスだ。1990年ころ、ラジオニュースで「Nanaimoで高校を卒業したばかりの Diala Krall が、アメリカに行ってジャズシンガーを目指すことになった」と聞いた記憶がある。それからしばらくして、彼女の名前がジャズの世界で聞かれるようになり、グラミー賞を獲得するほどになった。なお、Diana Krall を日本ではダイアナ・クラールと呼んでいるらしいが、all の発音が「アール」ではなく「オール」なのは中学生だって知っていることだ。あまりにお粗末な和名に私はちょっと呆れている・・・(-_-;)。
   
 2022年9月  
Hymn To Freedom(自由への賛歌)
Oscar Peterson 
先ごろ、Royal Canadian Mint カナダ王立造幣局が、2007年に亡くなったジャズピアニスト Oscar Peterson の音楽遺産をたたえて1ドルの記念流通貨幣を発行した。今月は、彼の作品の中からこの曲を取り上げてみた。ゆっくりとした出だしから、次第に強烈なピアノタッチが披露される。Montreal 出身の Peterson は、市内の移民や黒人の多いコミュニティでキャリアをスタートさせ、数年のうちに国際的な名声を得るようになるが、常に地元とのつながりを保ち続けたと言われる。こうやって聞いてみると、大きな体で、まさに”ジャズ界の巨人”というイメージだね。それにしても、この動画が撮影された頃は冷房などは一般的ではなかったのだろうか。Peterson たちがしきりにハンカチで汗を拭うのが、なんとも可愛そう・・・(^^;)。
   
 2022年8月  
故郷を離るる歌
ドイツ人歌手 (歌詞
YouTube でこんな歌に遭遇した。「ドイツ人が歌う『故郷を離るる歌』」と書いてあって、「へ〜え、日本の歌をドイツ人が歌うんだあ・・・」と思いながら聞いてみたら、なかなかいい。日本語はきれいだし、メロディーもしっかりおさえている。ところが、調べてみたら、なんと、この歌はもともとドイツ民謡だったらしい・・・知らなかった・・・道理でスムーズだ。全画面で見ると、動画の中の日本の風景もとてもいい。こんな風景見てると日本に帰りたくなるが、パンデミックで航空券があまりに高くて帰れない・・・歳のせいか里心がついたかも・・・(^^;)?。ともかく、故郷を思いながら、お楽しみあれ・・・\(^o^)/。
   
 2022年7月  
少年時代
井上揚水
YouTube で夏の歌を探していたら、この歌に出会った。井上揚水は小椋佳と同じ頃に人気を博した歌手で、小椋佳のファンだった私はそれほど井上揚水は聞かなかったが、こうやって聞いてみるとなかなかいい。今更ながら、なぜ彼が人気歌手だったのか分かった気がした・・・(^^;)。井上陽水と小椋佳は、よく一緒に曲を作ったりしていて、その一つ「白い一日」(作詞:小椋佳/作曲:井上陽水)は小椋佳も歌っている。
  
    2022年6月  
My Cup Runneth Over
Perry Como
Al Martino、Aretha Franklin など多くの人が歌っている曲だが、ここでは私の好きな Perry Como に登場してもらおう。runneth は辞書を引いても出てこないが、それもそのはずで「run 走る」の古語なんだそうだ。そして、"My cup runneth over" とは、「わが心あふるる、幸福が身に余る」のような意味で、聖書にでてくる有名な言葉らしい。仏教徒の私には聖書は関係ないが、いい歌はいい歌だから、そのあたりはどうでもいい・・・(^^;)。
  
   2022年5月  
この空の青さは
小椋佳(歌詞
久しぶりに、この曲が聞きたくなった。これまでも何度かとりあげたが、何度聞いてもいい歌だなあと思う。昔、友だちの結婚式で祝辞を頼まれたのだが、急だったのでしどろもどろに話をしただけで終わってしまった・・・(^^;)。後で考えたら、思い切ってこの歌を歌ってやればよかったなとつくづく思った。新しい門出をする人たちにピッタリの詩だから・・・。なお、この動画に出てくる風景はバンクーバーの人たちにはおなじみのものだ・・・なぜって?・・・そのあたりは想像に任せるけどね・・・(^^;)。
  
   2022年4月  
なごり雪
イルカ
1975年の作品と言うから、もう50年近く前の歌だ・・・(^^;)。私はイルカも「なごり雪」も知ってはいたが、あまり熱中して聞いた覚えがない。社会人になってまもない頃だったので、音楽好きな私も、忙しくて音楽どころではなかったのかもしれない。こうやって懐かしく聞いてみると、なかなかいい曲だ。Youtube 画面左下の「見る Youtube」ボタンを押すと、たくさんのコメントが出てくるが、みんな時代を超えてこの歌に聞き入っているようだ。特に、外国人からのコメントが多いのが目立つ。
  
   2022年3月  
My Land
Celtic Thunder 歌詞
1月に続いてアイルランドの男性グループ Celtic Thunder を採り上げてみよう。2014年に発表されたこの歌は、国土を称えるとても良い曲だ。舞台に十字架が飾られているが、カトリック教が強いアイルランドのグループだからかもしれない。しかし、歌詞で分かるように、この歌自体は単に国土の美しさを称える内容で、宗教性は全く感じられない。1月の時に歌っていた Damian McGinty は、このころグループを抜けていたものの、その後復活して現在もメンバーのようだ。
  
  2022年2月  
Woman (ウーマン)
フランク永井
フランク永井のレパートリーの中ではちょっと異色のこの曲を採り上げてみた。1982年にフランク永井が歌ったこの曲は、彼の最後から2番目の曲だった。作詞作曲は山下達郎。”ムード歌謡”でヒット曲を続けてきたフランク永井(当時50才)が、若者音楽の”代表”のような山下達郎(当時30才)の作品を歌うのは簡単ではなかったようで、「16ビートに慣れるのに胃に穴が開くほどだ」と言ったらしい。一方、山下達郎は後に、「フランクさん自身も、当初は年の離れたミュージシャンとの交流におっかなびっくりでしたが、いざ始めれば超一流のスイング感で、見事な歌を聞かせて下さいました」と語っている。この歌から3年後の1985年、フランク永井は歌が歌えなくなってしまった。
  
 2022年1月  
A Bird Without Wings歌詞
Celtic Thunder (Damian McGinty)
テレビ(たしか PBS チャンネルだった)でアイルランドの歌唱グループ Celtic Thunder を見たのは、もう10年以上前だ。ここで歌っている Damian McGinty が今では29才と言うから、そんなものだろう。左側で歌っているのは、グループで最年長だった George Donaldson。2007年に結成された当時のメンバー5人はそれぞれ独特の持ち味があり、とても聴き応えのあるグループだった。オリジナルメンバーの演奏はこちらで楽しめる。なお、最近知ったことだが、George Donaldson は2014年に Glasgow の自宅で、睡眠中に心臓麻痺を起こして死亡していた。46才の若さだったという。いい歌手だったので、ちょっとショックだ。
  
 2021年12月  
The Way We Were
Perry Como
この歌は、もともと Barbra Streisand の歌で1974年1月に発売された。ここでは私の好きな Perry Como のカバーを載せてみた。Streisand の歌もいいが、私には温かみのある Como のほうがこの曲にあっていると思える。Streisand の歌は、1973年にアメリカとカナダでチャートトップを記録し、翌年にもアメリカで最も売れたシングルとなった。また、日本とイギリスでもチャート入りを果たした。好調なセールスを受けて、米国レコード協会(RIAA)からプラチナ認定を受けた。
  
 2021年11月  
You Needed Me(辛い別れ)
Anne Murray
今月は、Nova Scotia 州 Springhill 出身の Anne Murray アン・マレーに登場してもらおう。高校の体育教師だった Murray は、1970年に歌った「Snowbird」が米 Billboard 誌で8位まで上昇して有名歌手の仲間入りをした。1973年に歌ったこの曲 You Needed Me(日本語タイトル:辛い別れ)は、Billboard 誌HOT100で第1位を記録した。これは、カナダ出身の女性ソロ・シンガーとしては史上初の快挙だった。今年75歳の Murray だが、現在もカナダをベースとして現役で活動中のようだ。
  
  2021年10月  
コーヒー・ルンバ Moliendo Cafe
ウーゴ・ブランコとアルパヴィアヘラ
群馬県の山村で中学生だった頃、私は、ラジオ関西の番組「電話リクエスト」(午後7時〜9時)でポピュラーソングを毎晩聞いていた。当時、よく聞いた曲のひとつがこれだ。今でこそ”古めかしい”かもしれないが、あのころはとても新鮮に聞こえた。アルパ奏者の Hugo Blanco ウーゴ・ブランコの演奏で世界的にヒットした曲だ。原曲は、ブランコの叔父でベネズエラの作曲家ホセ・マンソ・ペローニ Jose Manzo Perroni がコーヒーをモチーフに1958年に作詞・作曲した Moliendo cafe(コーヒーを挽きながら)だそうだ。日本でも、西田佐知子やザ・ピーナッツらが歌い、特に西田佐知子の歌がヒットした。
  
 2021年9月  
白い花の咲く頃
倍賞千恵子
1950年に作られたこの曲は、先月の The Way You Look Tonight(1936年に発表)よりかなり新しいのだが、こっちのほうが古く聞こえるね・・・(^^;)。1950年に岡本敦郎の歌唱によりNHKラジオ第1放送の『ラジオ歌謡』で紹介されてヒット作となった。この曲は岡本の代表曲のひとつとされている。倍賞千恵子は、1972年にこの曲をA面としたシングルをリリースした。彼女ももう80才ということだが、まだ活躍しているようだ。私は、「寅さんシリーズ」などでの飾り気のない彼女がわりと好きだし、歌でものびのびとした歌い方がとてもいい。
  
 2021年8月  
The Way You Look Tonight
Michael Buble
先月に続いて、今月もジャズっぽい曲を・・・(^^)。この曲は、1936年にアカデミー賞を受賞したというから、ずいぶん古い曲だ。もともとは映画の劇中歌だったらしい。その後、Frank Sinatra、Tony Bennett らたくさんの人が歌い、2003年には、ここ Burnaby 出身の Micheal Buble がデビューアルバムで歌ってヒットさせた。Buble は、祖父の影響で、子供の頃からスタンダード曲を聴いて育つ。父の鮭漁などを手伝いながらカナダで芸能活動を展開。10年以上の下積みの末、当時のカナダ首相の令嬢の結婚式で歌った「Mack the Knife」を、式に出席していた David Foster が聴いて「唯一無二の声!」と絶賛。この運命的な出会いをきっかけに、2003年、デビューアルバム「Michael Buble」を発表し世界中でヒットさせた。デビュー前、”古い曲しか歌えない” 彼が果たして人気を得られるか周囲は心配したが、それは全くの杞憂に終わり、今や「シナトラの再来」と言われるほどの人気歌手だ。
  
  2021年7月  
Near the Cloud
纐纈あゆみ
東善寺HPの「群馬ジャズフェスティバルと小栗上野介」ページに、アルトサックス奏者の纐纈あゆみ Ayumi Koketsu という女性ミュージシャンのことが出ていた。東善寺HPに書き込みをした人によると、纐纈あゆみは若手ミュージシャンの中でも特に注目されているらしい。Youtube で検索したら彼女の演奏がいくつも出てきて、その中からこの曲を選んだ。彼女自身の作曲だそうだが、なにやら楽しくなる曲だ。昔ほど音楽を聞かなくなった私だが、若い頃はジャズ・ボーカルが好きで、特に Johnny HartmanMel Torme のレコードを集めた。Johnny Hartman が来日して東京でコンサートを開いた時には、会社を抜け出して聴きに行った・・・(^^;)。
  
  2021年6月  
What a Difference a Day Makes!
Dinah Washington
1959 年の曲だ・・・私はまだ小学生だったが、”ポピュラーソング”を聞き始めた中学生になってから、この曲を知ったと思う。あの頃から、こんな大人っぽい曲が好きだったから、ちょっと変わってたね・・・(^^;)。なお、この曲はもともと "Cuando vuelva a tu lado"(私があなたの側に戻るとき)というタイトルのメキシコ製だったらしい。アメリカではいろいろな歌手によって歌われたが、1959年に Dinah Washington が大ヒットさせ、彼女はこの歌でグラミー賞のベスト・リズム・アンド・ブルース・パフォーマンス賞を受賞した。
  
    2021年5月  
空に星があるように
荒木一郎
Youtube で日本の歌を探していたら、この歌が出てきた。1966年の歌で、荒木一郎のデビュー曲だったらしい・・・ずいぶん昔だね・・・(^^;)。この曲は60万枚を超えるヒットとなり、この歌で彼は第8回日本レコード大賞新人賞を受賞した。最初、俳優として活躍して彼は、テレビドラマ「バス通り裏」で俳優デビューしたらしいが、私はぜんぜん覚えていない。荒木一郎は特に好みの歌手ではなかったが、この歌は聞きやすかった。彼の母親、荒木道子は感じの良い女優さんだった。
  
   2021年4月  
さくら
クリス・ハート
私が森山直太朗の「さくら」を知ったのは、このクリス・ハートの歌を聞いたからだった。森山の歌もいいが、クリスの歌はいっそう訴えるものがあった。学び舎を巣立っていく子どもたちが互いに励ましあって、桜の季節に、また会える日を祈念する歌詞がとてもいい。それにしても、クリスの日本語はなんとなめらかなのだろう。カリフォルニアで育った彼は、中学生くらいで数週間日本の家庭でホームステイした経験などから日本びいきになり、しゃにむに日本語を勉強したらしいが、それにしても実に滑らかな日本語だ。
  
    2021年3月  
旅立ちの日に
お母さんと娘さん
先月の「いぬのおまわりさん」があまりにかわいかったが、あのコンクール(第35回童謡こどもの歌コンクール)では他にも素晴らしい歌がたくさんあった。その一つがこれだ。お母さんと娘さんの合唱が素晴らしい。学校を卒業していく子どもたちのための歌だということで、希望に溢れた歌詞がとてもいい。ウィルス騒動で大変な時だが、今月、巣立っていく子どもたちにぴったりだね。コンクールのために一番しか歌われていないのが残念。そこで、YouTube 検索したら、2番まで歌っているのがいくつも出てきて、特にこれ(MELOGAPPA)これ(卒業式)が良かった。
  
   2021年2月  
いぬのおまわりさん
少女
いや〜、なんともかわいい女の子。歌もしっかりしている。この動画は友だちが教えてくれたのだが、私はいっぺんにこの子の大ファンになってしまった・・・\(^o^)/。よくもこんなに堂々と歌えるものだね。後ろにピアノが映った時のこの子の小ささがいっそうかわいいし・・・(^^;)。「第35回童謡こどもの歌コンクール こども部門」で YouTube 検索すると、歌のうまい子どもたちがいっぱい出てきた。お母さんと娘さんの「旅立ちの日に」も良かったし、お父さんと二人の娘さんの「ぼよよん行進曲」もユーモラスでとてもよかった。私も歌うことは好きだが、これらの子どもたちに負けないように頑張らねば・・・(^^;)。
  
  2021年1月  
女の意地
西田佐知子
作詞家・作曲家だった鈴木道明の1965年の作品。彼のメロディーは、当時としてはちょっとバタ臭い感じがあって、私は好きだった。たとえば、「赤坂の夜は更けて」「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」などがそうだった。「女の意地」はバタ臭くはなかったが、西田佐知子がしっとりと歌ってなかなかよかった。最初は、「赤坂の夜は更けて」の B面だったが、西田佐知子が好んで歌ったこともあって大ヒットし、新たに A面として再録されたと言う。
  
 2020年12月  
I Really Don't Want to Know
Eddy Arnold  
(続いて "I Really Want You To Know - Skeeter Davis)
日本で菅原洋一が1965年にヒットさせた「知りたくないの」の原曲。アメリカでは、レス・ポール&メリー・フォード、エルビス・プレスリー、アンディ・ウィリアムスなどいろいろな歌手が歌ったらしい。私はカントリーシンガーの Eddy Arnold の歌が好きで、彼のこの歌は1954年にカントリーソングヒットチャートの No. 1 にランクされた。菅原洋一の歌は、昨年暮れに亡くなったなかにし礼にとっては、作詞家としての最初の成功作だった。なお、ここでは、アンサーソングとして Skeeter Davis の "I Really Want You To Know" が続いている。
  
  2020年11月  
ちいさい秋みつけた
中谷友香&森の木児童合唱団
サトウハチロー作詞・中田喜直作曲による童謡だが、私は秋を歌ったこの歌がなんとなく好きだ。Wikipedia には以下のように書かれている。1955年にNHKの特別番組「秋の祭典」の楽曲の1つとして作曲された。当初はレコード化の計画はなかったが、1962年にキングレコードが合唱曲として見い出し、ボニージャックスの歌唱でレコーディングされた。同年末の「日本レコード大賞」では童謡賞を受賞した他、後に文部省認定曲として教科書に掲載された。サトウハチローが、自宅(東京都文京区)の庭にあったハゼノキが紅葉する情景を見たのが作詞のきっかけとなった。
  
   2020年10月  
Killing Me Softly with Her Song
Perry Como
Youtube でこの歌に出会った。懐かしい曲だ。1970年代初めに、Lori Lieberman という歌手が最初に歌ったのはヒットしなかったが、その後、Roberta Flack が歌って大ヒットさせたらしい。リリース後4週間で全米1位、1973年2月24日から4週連続でビルボード誌第1位を達成し、ビルボード誌1973年年間ランキングは第8位となった。これにより、フラックはグラミー賞で最優秀レコード、最優秀楽曲、最優秀女性ボーカルの3部門を受賞した。他にもたくさんの歌手が歌っているが、私は音程的に Perry Como の歌が好きだった。
  
 2020年9月  
雨だれの唄
小椋佳
今年ももう9月だ。今月中にはたいがい雨季が始まるが、その”前奏”としてこの曲をとりあげてみた。むかし、インドの Calcutta(現在の Kolkata)に住んでいたころのこと・・・。日本人社会は家族を入れても80人足らずだったから、とても仲が良かった。ある時、日本人会でカラオケ風の集いが持たれた。まだカラオケシステムなどない時代で、私が無伴奏でこの歌を歌ったら「いい歌ですねえ」とけっこう受けて、持っていた小椋佳のカセットテープをみんなに貸した思い出がある。いにしえの話だ・・・(^^;)。ところで、動画に出てくる風景にはバンクーバーの人なら見覚えがあるかもしれない。
  
    2020年8月  
Seven Daffodils 7つの水仙
Brothers Four
久しぶりに Brothers Four に登場してもらおう。シアトルのワシントン大学の学生仲間で結成された Brothers Four は1950年代1960年代にかけて活躍し、私はラジオの音楽番組で彼らの演奏をずいぶん聞いた。1960年代後半になると、ボブ・ディランなどのより先鋭的なフォークロックが台頭して、Brothers Four はやや影が薄れたが、その後も演奏活動を続けて特に日本では高い人気を保っていた。そんな”昔のグループ”だが、なんと今でもグループは健在らしい。と言っても、メンバーはみな別の人たちに代わったらしいが。
  
   2020年7月  
Auf Wiederseh'n sweetheart
Vera Lynn
最近、「歌手の Vera Lynn が102歳で亡くなった」というニュースがあった。「Vera Lynn?聞いたことがあるね」と思って調べてみたら、高校生の頃によく聞いた電話リクエスト番組でエンディングテーマを歌っていた人だった。あんなことでもなかったら知り得ない曲だったが、毎晩のように聞いていたので、「Auf Wiederseh'n Auf Wiederseh'n We'll meet again sweetheart 〜」のあたりがなんとも懐かしい。なぜ群馬県の山の中で夕方になると、神戸にあるラジオ関西の放送がびんびん入ってきたのか、さっぱり分からない・・・(^^;)。
  
  2020年6月  
旅愁
フランク永井
私の好きなフランク永井を Youtube で検索をしていたら、この歌(なかにし礼作詞、吉田正作曲)に出会った。知らない曲だったが、なかなか良くて何度も聞くことになった。新型コロナウィルス・パンデミックで旅行もままならない時代になってしまったが、この歌のように、いつかまたのんびり旅行したいものだ。なお、フランク永井は同じタイトルで別の歌(曽根千壽作詞、山下毅雄作曲)も歌っていたということで、ちょっとややこしい。
  
   2020年5月  
I Just Dropped By To Say Hello
Johnny Hartman
高校生の頃だったろうか、群馬の田舎でも FEN(Far East Network 極東放送網)という英語のラジオ局が聞けて、私はよくダイヤルを合わせた。別に英語の勉強でということではなく、同局の音楽番組が好きだったからで、そこで知ったのがこの Johnny Hartman だ。Nat King Cole に似た声だが、もっとジャズっぽくてすぐに好きになった。アメリカでジャズシンガーとしては実力がかなり認められたものの、一般にはそれほど人気が出なかった。「素晴らしい歌手だが時代が合わなかったのかも・・・」とも言われた。一度、東京に来たことがあって会社を抜け出して彼のショーを見に行った・・・(^^;)。
  
    2020年4月  
Grey Foggy Day
Shanneyganock
数年前、Toronto の空港で Newfoundland 島 St. John's 行きの飛行機の出発が30分遅れると、乗客の中にいたミュージシャンたちが退屈しのぎにアコーディオンとギターを手に、この歌を歌い始めた漁業が衰退して島では仕事が見つからず、霧に霞む港から船に乗って本土に出稼ぎに渡ろうとする男のことをテーマにした歌で、私はこの歌の田舎臭さがなんとなく好きだ。しかし、NL州は今世紀に入ってからはエネルギー資源産業を中心に経済が活発化しているらしく、この歌は「あんな辛い時代もあったねえ」という逆の意味のノスタルジーかもしれない・・・(^^)。Newfoundland の人たちはとても気さくで、気軽に人を家に招待してパーティ(Newfoundland Kitchen Party)を開き、たちまち歌声が湧き上がるらしい。
  
   2020年3月  
岩尾別旅情
倍賞千恵子
とてもいい歌なのに題名が漢字ばかりでなかなか頭に入らなかった曲だ・・・(^^;)。Youtube で遊んでいたら久しぶりにこの歌に出会って、ああ、これだったのかと思った次第。作詞・作曲はさとう宗幸だ。「青葉城恋唄」ばかりが有名だが、彼は他にもいい歌をいくつか作っている。岩尾別は北海道は知床半島の中ほどにある温泉地のようだ。いつか知床半島にも行ってみたいものだ。
  
  2020年2月  
I Love You Because
Jim Reeves
Jim Reeves は、1950年代から80年代にかけて人気を博したアメリカのカントリー&ポピュラーシンガーだ。日本ではそれほど有名ではなかったが、私は彼のいくつかの作品が好きでこれもそのひとつだ。Reeves は1964年7月31日 に41才を直前にして飛行機事故で死亡した。仕事仲間とテキサス州 Nashville 付近で不動産物件を見に行こうとして Reeves が操縦して飛行場を飛び立ったが、すぐに嵐に巻き込まれて飛行機が墜落した。Reeves が空間識失調に陥ったとも言われているが、はっきりしたことは分かっていない。生きていたら、もっともっといい歌を歌ったに違いないのに・・・。
  
   2020年1月  
あいつ
旗照夫
これを歌った旗照夫が12月8日に亡くなった。1960年に作られたというからずいぶん古い歌だが、私はまさに”子供の頃から”この歌が好きだった。演歌全盛の当時としてはちょっとバタ臭い曲で、これを作詞・作曲した平岡精二はジャズミュージシャンだったというから、そのあたりからこんなメロディーが生まれたのだろう。それにしても、子供の頃からこんな大人っぽい歌が好きだった自分は、音楽的にはちょっと変わっていたかも・・・(^^;)。Youtube では良い録音がないので、「あいつ」をクリックして Dailymotion の動画にリンクするようにした。
 
   2019年12月  
岬めぐり
倍賞千恵子
倍賞千恵子の Youtube 動画を探していたら、この曲が出てきた。原曲は「山本コウタローとウィークエンド」というグループが歌ったらしいが、私には音程が近い倍賞千恵子の歌唱が聞きやすい。恋を失った若者が、別れた女性が話していた岬に一人でやってきた。「・・・岬めぐりのバスは走る 窓に広がる青い海よ 悲しみ深く胸に沈めたら この旅終えて街に帰ろう」。胸の痛みを心に沈めて再出発したい若者の気持ちが伝わってくる。あまり良く知らない曲だったが、じっくり聞いてみるとなかなかいい。
 
  2019年11月  
Nature Boy
Nat King Cole
またしても少し古い歌を取り上げてみた。この歌は Nat King Cole が 1948年に最初にレコード化して、彼がソロ歌手としての地位を築き上げるきっかけとなった曲だそうだ。Billboard ミュージックチャートで1位になり、レコードの売上も100万枚を超えた。彼が大成功を収めたあと、Frank Sinatra、Sarah Vaughan、Tony Bennett、Lady Gaga、David Bowie らも、この歌をレコーディングした。Lady Gaga がこの歌をレコーディングしたのは2014年だった。
 
   2019年10月  
この胸の高なりを
小椋佳
Alberta 州への旅行では Vancouver(Burnaby) - Calgary 間を一人で運転して、Calgary 空港で高校時代の旧友二人を迎えた。一人で運転していると、どうしても眠気に襲われる。運転中は、むかし日本の友達がくれた小椋佳の CD をかけていた。知っている曲もあれば知らない曲もあり、この歌も知らなかった。ズンドコズンドコというテンポがなんともダサいが、「友よ〜と〜も〜」という部分がなぜか耳に残った。そして、気がついたら私はこの歌を大声で歌っていた。「果てしなき大地を掘り、限りなき道を築く〜」のあたりはなにやら土木企業の宣伝歌のようだが、細かいことは別にして、この歌のおかげで眠気も吹っ飛んだ・・・(^^;)。もちろん帰りも歌い続けて、すっかりこの歌をマスターした。
   
  2019年9月  
My Rifle, My Pony and Me
Dean Martin
高校時代の旧友二人がカナダ旅行にやってきた。Clagary 空港に到着して一週間弱、私の車で Alberta 州南部を旅行した。三人でこれだけ一緒に時間を過ごすのは何十年ぶり。互いにからかい合いながら、まるで高校時代に帰ったかのような楽しい時間を過ごせた。この曲は、N さんが持ってきた「オールディーズ」 CD 3枚組に入ってきたもの。私は 熱狂的ファンでもなかったが、Dean Martin のとぼけた味と独特の歌いまわしはわりと好きだった。歌詞はこちら
   
  2019年8月  
竹田の子守唄
山本潤子
最近、私はこの歌に”はまって”いる・・・(^^;)。以前は特に好きでもなかったのだが、少し前に、この歌を最初に採り上げたグループ「赤い鳥」でリードボーカルだった山本潤子の歌唱を聞き、彼女の音程が私の音程に近くて歌いやすいことに気づいた。それ以来、何度か歌っているうちに「なかなかいい歌だ」と思えてきた次第だ。なお、この歌の原曲となった民謡はこちらの動画(竹田の子守唄 原曲)が紹介している。また、京都市竹田地区の子供の労働歌だったというこの歌の背景については、こちらのサイトが説明している。
   
  2019年7月  
If
Perry Como
If という題名の曲は他にもあるらしいが、Perry Como がヒットさせたこの歌は、”If a picture paints a thousand words ..." と始まる。1936年に歌手デビューした Perry Como は、第2次世界大戦の余波でいったんは床屋さんに戻ったが、彼の歌声に対する期待は高まり1940年代前半に歌手としての活動を再開した。初期の頃の歌唱スタイルはビング・クロスビーに酷似していたが、次第に自分のスタイルを確立し、20世紀を代表する本格派のポピュラー・シンガーとして君臨した。マフィアとの関係を嫌いカジノでの公演を拒否し続けた人物としても知られ、フランク・シナトラと異なりスキャンダルの少ないクリーンな歌手として芸能生活を送った。
  
   2019年6月  
夏の思い出
合唱
今年も夏がやってきた。むかし登ったことがある尾瀬地図)に登場してもらおう。5月末だったが尾瀬ヶ原には雪がいっぱいあって、登山経験がなかった私は雪の多さにびっくりしたのを覚えている。標高が1,500メートル前後あるのだから、あの季節に雪があって当然なんだろうね。一方、5月末の尾瀬は水芭蕉の季節と言われるが、水芭蕉を見た記憶がない。ひょっとするとあの年は雪が多くて、水芭蕉が咲くのが遅かったのだろうか?
  
     2019年5月  
アロハ・オエ
  
ティア・カレル
ご存知「アロハ・オエ」だが、ハワイ語で歌われている。4月の旅行では、ハワイ王国について勉強する機会があった。戦争続きだったハワイを初代国王カメハメハ1世(カメハメハ大王)が1795年に統一し、王国は1893年まで続いた。王国時代の後半、次第に影響力が増したアメリカを嫌って日本に接触した時代もあったが、結局、1898年にアメリカに併合され王国は完全に消滅した。ここに写っている女性は、最後の国王であり、唯一の女王だったリリウオカラニ。実は「アロハ・オエ」はリリウオカラニが作詞した。動画の途中の説明にあるように、滅びゆく王国の悲哀が込められているようだ。
  
    2019年4月  
If you go away
  
Scott Walker
先日、歌手で作曲家の Scott Walker が亡くなった。私にとってそれほど好みの歌手というわけではなかったが、この歌だけはよく覚えている。If you go away On this summer day ... で始まる歌詞とメロディーが実に良かった。彼が当初所属した Walker Brothers は1960年代のイギリスでビートルズと並び称される爆発的な人気を誇り、日本でも公演したらしい。ソロになってからは革新的な作品で知られ、20世紀を代表する歌手のひとりとされる。
  
   2019年3月  
For the Good Times
  
Perry Como
ペリー・コモは私が最も好きな歌手の一人だった。理髪店の見習いをしていた頃に町の歌声コンクールで優勝したことがきっかけで1936年に歌手としてデビューした彼は、「歌う床屋さん」と呼ばれて親しまれた。第2次世界大戦の余波で一時は理髪師に戻ったが、彼の歌声に対する期待は高まり、ラジオ放送で自身のショーを持ち1943年にレコード会社と契約した。この曲では、別れを迎えたカップルの最後のひとときを暖かい声で歌っている。
  
  2019年1月  
You Make Me Feel
So Young

  
Ted McDermott
フランク・シナトラのこの曲を、見たこともない高齢の男性がかなり上手に歌っている。この人、実は数年前までは音楽界とは全く関係なかった。それが、ひょんなことからレコード会社の目にとまり、2016年に、イギリスでの高齢者デビュー新記録となる80才で CDデビューした。男性には大きな問題があったが、その「問題」がかえって彼のデビューのきっかけになった。詳しくは「ぶつくさ日記」のトピック「80才でCDデビューした男性(1/2) (2019.02.01)」に・・・。
  
  2018年12月  
想い出のサンフランシスコ 
  
Tony Bennett
50年以上前の曲だが、久しぶりに聞いてみるとなかなかいい。そういえば、2009年に小栗上野介のことで日本からやってきた兄をシアトル空港で出迎え、二人でサンフランシスコまでドライブした。あの時、サンフランシスコ周辺の観光地を見て回り、この歌に出てくるような景色も見ることができた。それにしても、あの街の住宅事情の悪さにはびっくりした。訪問した兄の知人一家(両親と赤ちゃん)が住むワンルームマンションの家賃が、千数百ドルもしたのだ。10年近く前に、今のバンクーバーと同じ状況だったってこと・・・(-_-;)。
   2018年11月  
木戸を開けて 
  
小椋佳
若い頃、家出をしたことがある小椋佳は、初期の作品で家出をテーマにした曲をいくつか作ったが、これもそのひとつ。サブタイトルが「家出をする少年がその母親に捧げる歌」となっている。「あなたの後ろ姿にそっと別れを告げてみれば あなたの髪のあたりにぽっと灯りがさしたような 裏の木戸をあけて一人夜に出れば 灯りの消えた街角 足も重くなるけれど 僕の遠いあこがれ 遠い旅は捨てられない・・・」私が特に好きな曲だ。
 
  2018年10月  
Autumn Leaves 枯葉 
  
ナット・キング・コール
彼が全盛だった頃、私はまだ中学生くらいだったが、彼とかペリー・コモとかが好きでよく聞いた。ロックンロールは苦手で、音楽に関してはちょっとませていたのかもしれない・・・(^^;)。ところで、Nat King Cole は「たばこは声を低音にする」と信じて、積極的に喫煙したらしい。その結果、1965年に45才の若さで肺がんで死んだ。なんとも無茶苦茶な・・・(-_-)。1919年3月生まれだから、生きていればまだ99才だったのに・・・。
 
   2018年8月  
Take the "A" Train
(A列車で行こう)
 
  
オスカー・ピーターソン・トリオ
Youtube で遊んでいたら、親しみやすい軽快なリズムでむかし大ヒットしたこの曲が出てきた。A列車」とは、ニューヨークのブルックリン東地区からハーレムを経てマンハッタン北部を結ぶニューヨーク市地下鉄A線(別名「8番街急行」)の名称だそうだ。「(ジャズを楽しめる)ハーレムに行くなら、速く行ける "A"看板の電車(すなわち "A" train)にお乗りなさい」という意味がこめられているという。あまり知られていないことだが、ジャズピアノの巨匠 Oscar Petersonモントリオール生まれのカナダ人だった
 
  2018年8月  
Danny Boy 
  
Daniel O'Donnell
友達が、「アイルランドの歌『Danny Boy』がいいねえ。ブツクサさん、歌ってみたら?」というので、Youtube で探した。いろいろな人が歌っている中で、Danniel O'Donnell ダニエル・オドーネルというアイルランド人歌手の歌唱が気に入った。父母(または祖父母)が、戦争に出ていった息子(孫)を思う気持ちをゆったりと歌い上げている。「あなたが帰ってきたとき、私はもう墓の中かもしれません・・・あなたが私の墓石の前でひざまずいて『愛しています』とつぶやく時、私の心は休まります・・・」などという部分もある。私は、ありきたりの恋の歌かと思っていたら、全然違っていた・・・(^^;)。
 
 2018年7月  
青葉城恋唄 
  
さとう宗幸
ネットで、音楽番組を宣伝するサイトに遭遇したら、白髪の男性の写真が出てきた。見覚えのある顔なのだが、思い出せない。説明を読んだら、さとう宗幸だった。ああ、彼ももうこんな年なんだと思いながら、自分もこの歌がヒットした頃からずいぶん歳を重ねてきたことを気づかされた・・・(^^;)。
 
  2018年6月  
My Way 
  
日本版フランク・シナトラ(^^;)?
私は、歌手としての加山雄三は、それほどうまいとは思わなかったし声も魅力的だとは思ったことはなかった。ところが、これを聞いてびっくりした。まるでフランク・シナトラなのだ。この動画を Youtube に載せたのは日本人ではないようで、コメント欄にもほとんどが英語で「夢のようだわ、シナトラにそっくり」「素晴らしい声、ハンサムだし」[ディーン・マーチンとシナトラを一緒にしたような声」などとほめ言葉が並んでいて、閲覧者数は100万人を超えている。彼らは加山雄三を知らないようだが、これほど外国人に受ける動画を見ると、歌手・加山雄三をちょっと見直すね・・・(^^)。
 2018年5月  
夜空ノムコウ 
  
クリス・ハート
昨年暮れ、クリス・ハートが「しばらく歌を休んで、育児と音楽の勉強に励みます」と発表した。私はあまり驚かなかったし、むしろ彼にとって良い決断だと思った。アマチュアコンテストでは古い歌を見事に歌い上げていたのに、プロになって”若者向けの歌”を歌いだしたらまったく精細がなくなってしまった。一方、自分の祖父の時代の音楽が身についてしまった Michael Buble(ここ Burnaby 出身)は、古い歌を次々にヒットさせて成功した。たとえば、"You don't know me" は1955年の作品だ。それを思うと、クリス・ハートも古い歌を歌って”日本の Micheal Buble”になったらいいと思うわけだ・・・(^^;)。
 2018年4月  
If You Go Away 
  
フリオ・イグレシアス
この歌は、フランク・シナトラバーブラ・ストライサンドスコット・ウォーカーなどたくさんの人が歌っているが、音程が自分にあっているフリオ・イグレシアスが私の好みだ。去りゆく人を切なく歌い上げるこの曲は、かつて大ヒットした。1966年と言うから、半世紀も前の作品だ。私も本当に古い歌が好きだね・・・(^^;)。残念ながら、著作権の保護が厳しくなっているようで、埋め込みコードをコピーできる動画がないので、リンクだけ張ってみた。
2018年3月  
木戸を開けて
    小椋佳
自ら家出の経験がある小椋佳は、家出した少年の心情を綴った歌をいくつも作った。これもそのひとつで、副題には「家出する少年がその母親に捧げる歌」と書かれている。一般的には大きなヒットにはならなかったが、小椋佳ファンには忘れられない一曲であることは間違いない
2018年2月  
上を向いて歩こう
     
坂本九
このビルに住む白人の友人(60代)が、Youtube の “Sukiyaki - Kyu Sakamoto” をメールにリンクして送ってきた。「北米で育った私の年代の人間なら誰もが知っている歌だ。なんという素晴らしい声だろう!」。アメリカのヒット曲ランキングで第一位となった英語以外の曲は、これを含めて数えるほどしかない(Wikipedia)。
2018年1月  
この空の青さは
     
小椋佳
何年か前にも掲載したが、またこの曲を載せてみたくなった。心の迷いを振り切って新たな出発に向かう若者をテーマにした歌で、新年の門出にふさわしい。風景はバンクーバーダウンタウン南の Burrard Bridge から撮影したものだ。English Bay と Westend の住宅街、船が行き交う False Creek、それに Granvile Island などが見える。
2017年12月  
「ジェットストリーム」テーマ曲
     
(司会:城達也
先日、懐かしいメロディーに出会った。私が20代のころ、FM東海(現在のFM東京)が平日の深夜から放送していた「ジェットストリーム」のテーマ曲だ。城達也の司会で、静かなインストルメンタル曲を聞かせてくれる音楽番組だった。今でも放送されているらしくて、今年7月3日には放送50周年を迎え、FM放送界における最長寿番組となっているとか。テーマ曲だけでは物足りない人には、こちらの長時間版 Youtube をどうぞ・・・(^^;)。
2017年11月  
シルクロード
     
喜多郎
なんと心休まる音楽だろう。自然環境からインスピレーションを取り入れた喜多郎の音楽は、世界でも高い評価を受けていて、これまでにゴールデングローブ賞グラミー賞を受賞している。毎年夏には富士山中腹で、大地への感謝の気持ちを表して、日没から夜明けまで無料イベントの富士山讃歌を行っているそうだ。
2017年10月  
しおさいの詩
     
小椋佳
20代の頃から小椋佳ファンだった私も、年とともに日本の音楽から遠ざかっていた。最近、健康の意味もあって家でよく歌をうたうが、自分で歌ってみると、彼の歌はやはりいい。彼の初期の作品は、青春期の心の迷いをテーマにした地味なのが多くて一般受けはしなかったが、いい曲がいっぱいある。この歌は小椋佳のデビュー曲。これから、時々、小椋佳を取り上げていこうと思っている。
 2017年9月  
セプテンバー・ソング(歌詞)
   
エラ・フィッツジェラルド
「9月」になったので、この歌を選んでみた。ゆったりしっとりの、まさに枯れ葉が落ちてゆくようなテンポで”秋”を思わせる曲だ。彼女は私よりも何世代も上の人だったから、洋楽を聞き始めたばかりの中学生の私には難しすぎて、それほど聴き込んだ記憶がない。しかし、今になって聴いてみると、やっぱりいいねえと思えてくる・・・(^^)。
2017年8月  
愛燦燦
     
小椋佳
この歌は、美空ひばりのために小椋佳が作詞作曲したが、小椋佳ファンの私としてはやはり彼に歌ってもらうのが一番だ。特に若い時の声がそうだったが、飾り気がなく、優しくて伸びやかな歌声がなんともいい。それと、作詞がとても味わい深い。初めは「どういう意味なの?」と思ってしまうが、次第に分かってくると「なかなかいいねえ」となる・・・(^^;)。この歌などはその代表だ。
2017年7月  
あれあれあれ
     
森山良子
森山良子は1967年1月に「この広い野原いっぱい」でデビューして以来、「今日の日はさようなら」「さとうきび畑」「涙そうそう」などたくさんのヒット曲を歌っているが、こんなのもあった。団塊の世代の、彼女のこの歌を聞いたら、同年代あるいはそれ以上の人たちはきっと身につまされるよ・・・(^^;)。
 2017年6月  
小さな花
     
鈴木章治とリズムエース
鈴木章治とリズムエースといえば「鈴懸の径」が有名だが、この曲もなかなかいい。もともとはアメリカのシドニー・ベシェという人が作曲した「Petite Fleur」という曲だ。ザ・ピーナッツはこの歌を「可愛い花」として歌ってデビューした。アッカー・ビルクピーナッツ・ハッコーらもカバーし、ピーナッツ・ハッコーのカバーは「小さな花」のタイトルになっていた。同じクラリネット奏者である鈴木章治の演奏も、彼らに負けず劣らず心地よい。
 2017年5月  
Green Fields
     
Brothers Four
フォークソング時代の先駆的存在だった Brothers Four。久しぶりに聞いたら、なかなかいい。彼らは、シアトルにあるワシントン大学の学生コーラス・グループだったようだ。グループ結成は1957年。この歌が特に有名だが、映画「アラモ」の主題歌になった「The Green Leaves of Summer(遥かなるアラモ)」もアカデミー歌曲賞にノミネートされてヒットした。また、彼らの「500マイル」「7つの水仙」「Try to Remeber」なども懐かしい。
 2017年4月  
You don't know me
     
Michael Buble
久しぶりに、ここ Burnaby 市出身のマイケル・ブーブレに登場してもらおう。イタリア移民の祖父の影響で、子供の頃からスタンダード曲を聴いて育ったという Buble。10年以上の下積みの末、当時のカナダ首相令嬢の結婚式で歌ったのが、大歌手になる切っ掛けとなった。もっとも、Buble を見出した音楽プロデューサー David Foster は、Buble が歌う古い歌が受けるのかどうか見当がつかず、最初、売出しに躊躇した。しかし、Foster の心配は杞憂に終わり、一枚目のアルバム「Micheal Buble」から大ヒットした。
  
 2017年2月  
赤い橋
     
浅川マキ
久しぶりに浅川マキに登場してもらおう。暗〜い歌だが、あちこちで“ユニークすぎる”国家元首が現れて、いったいぜんたい世界はどうなっていくんだろうと心配になるご時世に、ぴったりかもしれない・・・(-_-)。

「不思議な橋がこの町にある。渡った人は帰らない・・・」。私たちの行く末を暗示してる?・・・それとも、某国では橋の上で政治家が変な死に方をしたことがあったけど、あの橋のことかも・・・色も「赤」でぴったりだし・・・(^^;)?。
  
2017年1月  
Blowin' in the wind
     
Bob Dylan
ノーベル平和賞を受賞しながら、授賞式に出席しなかったボブ・ディラン。年をとっても、“反骨シンガー”で押し通す姿勢はすごいね。なにやら冷戦モードに戻りつつある世界情勢の中で、こんな反戦歌を久しぶりに聞くのも悪くない。私はジョーン・バエズが好きなので彼女に歌ってもらおうかと思ったのだが、やはり本人に登場してもらうことにした・・・(^^;)。
  
2016年12月  
Can you Feel The Love Tonight 
Jeffrey Li
Youtube で遊んでいたら、「10 Year Old Jeffrey Li Singing ...」とタイトルされた動画に遭遇した。10才の Jeffrey Li が歌うのは、映画「ライオンキング」の挿入歌だ。

10才の中国人の少年 Jeffrey Li がどんなふうに歌うのかと思って、動画をスタートしたら、びっくりした。いや〜、実にうまい。それとともに、英語の発音がきれいなのにも驚いた。それもそのはず、この子は「カナダ人」なのだ。中国系カナダ人二世の Jeffrey Li は、トロントで生まれ育っている。なお、この子については「ぶつくさ日記」にも書いておいた。
 
 2016年10月  
愛しき日々   小椋佳
小椋佳ファンの私としても、あまりよく知らない曲だった。しかし、何度か聞いてみたらなかなかいい。特に、小椋佳自身による作詞がいい。作曲は堀内孝雄が担当して彼自身も歌っている・・・と言うか、一般には堀内の歌のほうが知られているようだ。小椋佳の歌は最初やたら退屈に聞こえて、何度も聞かないと良さが分からない。約半世紀前に小椋佳を初めて聞いた時の私もそうだった・・・(^^;)。

後で知ったことだが、この歌は白虎隊をテーマにしたテレビ映画の主題歌だったらしい(私がカナダに来てから2年後の1986年)。それを知って、歌詞の意味がさらに鮮明になった。
 2016年9月  
翼をください クリス・ハート
鹿児島県立加治木高等学校音楽部

久しぶりにクリス・ハートに登場してもらおう。鹿児島県立加治木高等学校・音楽部の生徒さんたちと一緒に、すばらしい歌声を響かせている。フォークグループの赤い鳥が1971年に「竹田の子守唄」のB面曲として発表した歌だそうだ。その後、合唱曲として教科書にも載るようになって愛唱歌として広まったという。クリスは少し古い歌をうたうと実にすばらしい。
2016年8月  
The End of the World 石嶺聡子
この歌を Youtube で探していたら、Satoko Ishimine という歌手のが出てきた。日本の音楽事情についてすっかり“浦島太郎”になっている私にとっては、知らない歌手だった。Skeeter Davis が歌ったオリジナル盤は子供っぽく聞こえたが、Ishimine さんのはもうちょっと大人びていて、むしろ、Davis よりもいいと思った。かわいこちゃんだし・・・(^^)。もっとも、調べてみたらベテラン歌手なんだね・・・。
2016年7月   

 Shenandoah  Sissel シセル

Youtube でたまたまこの歌に出会った。なんとも素晴らしい歌声だ。ノルウェー出身の歌手シセルが、アメリカ東部を流れる Shenandoah River 付近の民謡を透き通った声で見事に歌っている。 私はこの歌手のことを全く知らなかったが、 リレハンメル冬季オリンピック(1994年)でテーマ曲“Fire in your Heart”を歌って一躍有名になったということで、日本でもファンが多いらしい。
 2016年6月   
 女ひとり  デューク・エイセス
ネットで遊んでいたら、この歌が流れてきた。懐かしい歌だ。あのころ、ダークダックスから始まって、ボニー・ジャックス、そして、このデューク・エイセスと、コーラスグループ全盛だった。その中で、私は少しジャズっぽいデューク・エイセスが一番好きだった。何人かメンバーが代わって若いメンバーが入ったが、リーダーの谷道夫は1934年生まれだというから、もう82歳だ。グループは今でも活躍しているらしい。
2016年4月   
 ふるさとの山   古賀 力
久しぶりに、この曲が聞きたくなった。フランス人ジャン・フェラ Jean Ferrat が作ったシャンソンを古賀自身が訳詞して歌った。派手にヒットはしなかったが、たくさんのシャンソン歌手が好んで歌った曲だ。ここで歌われている情景が、私の田舎に重なって浮かんでくる。

古賀は東京・銀座にあったシャンソン喫茶「銀巴里」の常連歌手で、私も銀巴里には何度か行ったことがある。半世紀も前の昔の話・・・(^^;)。
2016年3月  
 The Secret   Alex Cuba
今月は、ブリティッシュコロンビア州北部の田舎町 Smithers に住むキューバ出身の歌手Alex Cuba に登場してもらった。彼は、先月15日に行われたグラミー賞の"Latin Pop Album" にノミネートされていた。

今回は、ぶつくさ男の選曲としては珍しく、“懐メロ”ではない・・・(^^;)。スペイン語のラテン音楽は、リズミカルで耳障りが良いね。
  2016年1月
  白い想い出       鮫島有美子
12月の雪のぱらつく日、インターネットで遊んでいたら、この歌が出てきた。聞いたことのあるメロディーで、「明るい日差しがすぐそこに来ていると〜」あたりの歌詞もなかなかいい・・・(^^)。
 2015年11月
  Stranger On The Shore 
           
Acker Bilk
クラリネット奏者アッカー・ヒルクは、1950〜60年代にかけてヒット曲をたくさん作った。少年時代にそり遊びで事故にあって指の第一関節を失った。管楽器奏者としては致命的なハンデだったが、それを克服したばかりか、逆に、なくした指の柔らかな肉のクッションを使ってユニークなクラリネット・トーンを生み出すことに成功したという。今月2日は、85歳で昨年亡くなった彼の一周忌だ。
 2015年10月
 What a wonderful world歌詞
        
LOUIS ARMSTRONG

ひところ雨季に突入した気配だったバンクーバーだが、このところ好天が続いて素晴らしい秋晴れの毎日だ。澄み切った青空を見ていたら、この歌が頭に浮かんできた。

1960年代後半、ベトナム戦争を嘆き平和な世界を夢見て書かれた曲は、当初、Tonny Bennett にすすめられた。しかし、彼が辞退したため、Louis にお鉢が回ってきたらしい。“永遠の名曲”と言えそうなこの曲を断ったなんて、Tony もうかつだったよね・・・(^^;)。
2015年8月 
 小さな街のプラタナス歌詞) 
            小椋佳
 
聞いたことあるようなメロディーで始まり、他愛もない初恋の歌と思いきや、最後に少しばかり“主張”が込められている・・・(^_^;)。

ウィキペディア「小椋佳」の備考欄
、彼が歌手としてデビューする際、レコード会社が彼のもっさりした容貌から、デビューさせるのを躊躇したくだりが書かれている。歌が上手ければ、容貌などはどうでもいいと思うのだが・・・。このあたり、どうも、日本の音楽界は薄っぺらだ。
 2015年7月
 煙が目にしみる歌詞
            The Platters
1953年の結成。何人かメンバーが変わった後の1955年、「オンリー・ユー」が大ヒット。さらに、「グレート・プリテンダー」、「トワイライト・タイム」、「煙が目にしみる」など立て続けにヒット曲を飛ばした。それから数年後に中学生になった私は、ラジオから流れてくる彼らの歌声に毎晩聞き入った。
 2015年6月   
 誰もいない歌詞菅原洋一
1969年のヒット曲。あのころ、菅原洋一は「知りたくないの」、「今日でお別れ」、「芽生えてそして」など次から次へとヒット曲を飛ばした。ラテンやシャンソンの雰囲気がある歌い方は、とてもしっかりしていて、私は熱烈ファンという程ではなかったものの、けっこうよく聞く歌手だった。
2015年5月   
 You Don't Know歌詞
 
         ヘレン・シャピロ


1961年というから私が中学生の頃のヒット曲だ。女声としてはかなり低温なので、「ヘレン」が女性名とは知らなかった私は、長いこと男性歌手だと思っていた・・・(^_^;)。あのころは、「ウォウォウウォー」というセリフというかスキャットというか、そんなのが大流行で、誰も彼もが「ウォウォウ・・・」と唸っていた。彼女もその一人で、この歌のほか、Don't Treat Me Like A Child という曲も大ヒットした。

2015年4月 
亜麻色の髪の乙女    
        ヴィレッジ・シンガーズ


何年か前に日本に行った時、実家で、兄一家や親戚の人達と一緒にカラオケをやった。そこで、この歌を歌ったら、20代後半から30代の姪たちが、「え〜?おじさん、この歌知ってるの?」なんて驚かれた・・・(^_^;)。彼女たちは、島谷ひとみとかいう歌手のバージョンしか知らないわけだ。「この歌は元々はヴィレッジ・シンガーズというグループの歌だったんだよ」と教えてやったら、へ〜えと感心された・・・(^^)。

私はグループサウンズはあまり好きではなかったが、ヴィレッジ・シンガーズだけはわりと好みだった。それにしても、このグループのほか、ザ・タイガース、ザ・スパイダース、ザ・ワイルドワンズ、ザ・テンプターズ、ブルー・コメッツなど、懐かしい名前が思い浮かぶ。思えば、あのビートルズが火をつけたグループサウンズ時代だった。
2015年3月  
 Joey, Joey, Joey Johnny Hartman

久しぶりに、ジョニー・ハートマンが聞きたくなった。たしか高校生のころだった、FEN(Far East Network、極東放送網、現AFN= American Forces Network、米軍放送網)で、この人の歌を耳にして好きになった。地味で一般にはそれほど知られていなかったが、男性ジャズボーカルの世界では実力のある人と言われていた。一度、東京でコンサートを開いたことがあって、私も聴きに行った。いいコンサートだったが、残念ながら観客席には空席がけっこうあった。
2015年2月 
 Take Me Home, Country Roads John Denver

ずいぶん古い歌だが、それほどの古さを感じさせない良い歌だ。私はインドのカルカッタ(コルカタ)に1980年まで数年間住んでいたが、あのころ、私はこの曲をよく口ずさんでいた。インド人から、「いい歌だね、なんという歌?」なんて聞かれた記憶がある・・・(^_^;)。当時、インターネットはなかったしレコード屋らしき店も知らなかったから、日本人は互いに持っている音楽テープを交換したりして音楽を楽しむのが関の山だった。そんなテープの中に、この曲が入っていたのだろう。

ジョン・デンバーが、操縦していた飛行機の墜落で事故死したのが1997年10月だったというから、それからでも、すでに17年が経っている・・・(-_-;)。
2015年1月
  この空の青さは 小椋佳

2015年は、以前も登場してもらったこの曲でスタートしよう。新しい出発を感じさせる、新年にふさわしい歌だ。世界で、カナダで、日本で、そして私にも、いろいろなことがあったが、すべて水に流して、すばらしい2015年にしよう・・・\(^o^)/。
画像は、バンクーバー・ダウンタウンの南、フォルスクリーク入江にかかる Burrard Bridge からの景色。
 2014年12月 
He'll Have To Go歌詞) 
Jim Reeves ジム・リーブス

私がジム・リーブスを知ったのは、30代でインドにいた頃だった。なぜか日本にいた時には名前を聞いたこともなかった。中学生の頃から、ラジオ関西の音楽番組「電話リクエスト」*で洋楽を聴きまくっていた私だから、ジム・リーブスが放送されていたら聞き逃すはずはなかった。そういえば、彼は、有名歌手としては珍しく、Wikipedia の日本語サイトがない。日本人ウケしそうなゆったりしたカントリー調だが、意外と受けなかったのか。1964年、41歳の時に自家用飛行機の事故で亡くなった彼は、たくさんのヒット曲を残している。

* なぜか群馬県の山奥で、夜になると神戸のラジオ関西がビンビン聞こえた・・・(^_^;)?。
 2014年11月 
You Raise Me Up  ジョシュ・グローバンJosh Groban

1998年、ジョシュ・グローバンがまだ17歳の時だった。グラミー賞授賞式のリハーサルで、セリーヌ・ディオンとデュエットする予定だったアンドレア・ボチェッリが急病になってしまった。この時、ボチェッリの代役として白羽の矢が立ったのがグローバンだった。最初は、大歌手の代役という重責に尻込みしたグローバンだったが、周囲の説得でその気になり、素晴らしい歌唱を見せたという。そして、これがきっかけで彼はスターダムを登りつめることになる。
2014年10月 
Buongiorno Tristezza (悲しみよ今日は)
歌詞) ルチアーノ・タヨーリ


今月もカンツォーネを拾ってみた。ルチアーノ・タヨーリは、1961年のサンレモ音楽祭で「アルディラ」を歌って優勝した人だ。YouTube でタヨーリを探していたら、この曲が出てきて、初めて聞くこの曲に私はちょっとしびれてしまった・・・(^_^;)。元々は、クラウディオ・ビルラが1955年にサンレモ音楽祭で優勝した曲らしいが、柔らかい歌声のタヨーリもなかなかいい。ところで、Buongiorno tristezza とは「悲しみよ今日は」という意味らしいが、あのころ流行った同名の映画と関係あるのだろうか・・・?。
 2014年9月
忘れな草(Non Ti Scordar Di Me) 
               クラウディオ・ビルラ


私が中学生か高校生の頃、カンツォーネがやたら流行った。私もラジオから流れてくるカンツォーネを聞くうちに好きになり、クラウディオ・ビルラのレコードも買ってきた。この曲は特に好きな曲だった。もちろんイタリア語はぜんぜん分からなかったが、毎日のように聞いていたからけっこう歌詞を覚えて、今でも少し頭に残っている。今では、やはり古くさい感じがするが、それなりにいいね・・・(^_^;)。
2014年8月  
はるかな友に 倍賞千恵子 

久しぶりに倍賞千恵子が聞きたくなった。この曲のスムーズなメロディーからして、私は長いこと“クラシックの一片”かと思っていた。ところが、日本人が作った曲と知った時には少々意外な気がした。

【作詞作曲】 磯部 俶
1.静かな夜更けに いつもいつも 思い出すのは お前のこと
  *お休み安らかに たどれ夢路 お休み楽しく 今宵もまた
2.明るい星の夜は 遥かな空に 思い出すのは お前のこと   *繰り返し
3.寂しい雪の夜は 囲炉裏の端で 思い出すのは お前のこと   *繰り返し
 2014年6月&7月 
Maria Elena Los Indios Tabajaras 

いつだったか、友達にこれを聞かせたら、「おめえ、こんなのが好きなんか・・・」みたいな言い方をされたことがあった・・・(^_^;)。なんだか甘ったるい曲だと思ったのだろう。今になってみれば、どこでも聞くようなメロディーと演奏だから、そんな風に聞こえるのかもしれない。でも、私が高校生時代に初めて聞いた時にはすごく新鮮で、ラジオで流される度に一生懸命聞き入った覚えがある。

Maria Elena は、1932年に Lorenzo Barcelata というメキシコ人作曲家が、メキシコ大統領の妻 Maria Elena に捧げて作った。いろんな人が演奏したが、特にブラジルの兄弟デュオ Los Indios Tabajaras のギター演奏が大ヒットした。それにしても、こんなきれいな曲を贈られるなんて、大統領夫人もラッキーだね・・・(^^)。
 2014年5月 

The First Time Ever
I Saw Your Face

 Roberta Flack
 
切なさの代表作のような歌。恋人への愛を切々と歌い上げている。元々は、1957年にイギリスのシンガーソングライター Ewan MacColl という人が Peggy Seeger という女性歌手のために作った歌だそうだ。1960年代にはいろいろな歌手がこの曲を歌ったが、その中で1972年に Roberta Flack が歌ったのが世界的にヒットした。

こんな大人っぽい歌は、十代半ばだった私にはまだ良さがわからなかったはずで、だいぶ後になってから、どこかで聞いて好きになったのだろう。
 2014年4月

大空と大地の中で*
クリス・ハート
*冒頭のコマーシャルは右上のX印をクリックして消せる。

クリス・ハートは、少し古い歌を歌わせると実にすばらしい。この歌は松山千春の歌だが、大空と大地が広がる北海道のような風景を沸々とさせる歌いぶりだ。

一方、彼のオリジナル曲はどうもいけない。彼の声は低音もすばらしいのに、高音しか使っていない。低音を聞かせてこそ高音が生きてくるのに、高音だけではいかにも一本調子だ。

若いファンだけでなく、もっと広いファン層を狙ったレパートリーにして欲しい気がする。

参考ページ:
心に響く歌声クリス・ハート

2014年3月  

Cry Me a River
ダイアナ・クロール Diana Krall

バンクーバー島ナナイモ Nanaimo 出身のダイアナ・クロール*。これまでにグラミー賞を二度受賞して(最優秀ジャズミュージシャン、最優秀ジャズボーカル)、いまやトップクラスの女性ジャズボーカリストとして揺るぎない。

私がカナダに来て間もない頃、「アメリカで修行中のナナイモ出身の女の子・・・」のようなニュースを聞いたことがあった。ウィキペディアに「17歳になってから・・・ボストンにあるバークリー音楽大学に入学、卒業した」とあるから、それから数年後の彼女の様子が伝えられていたのだろう。

 2014年2月

ふしあわせという名の猫
浅川マキ

久しぶりに浅川マキの歌が聞きたくなった。暗く物憂げな歌い方だが、私はなぜか彼女の歌に惹かれた。特に、この歌と「赤い橋」がいい。

本人はジャズやブルースが得意だったようだが、英語の発音はかなり怪しかった。特に、L と R が逆に聞こえた・・・(-_-;)。そんなこともあって、彼女の英語の歌はあまり好きではなかった。

それよりも、彼女が歌う日本語の歌が素晴らしかった。意固地な人で、所属レコード会社が作ったレコードやCDでも、音質などで気に入らないと、頼んで廃版にしてもらったりしたらしい。

ともかく変わった歌手だった。2010年に67歳で急死した。

 2014年1月

Breathless
ケニー・G

私がケニー・Gを知ったのは1984年にカナダに来る前だったから、もう30年も経つ。音楽にあまり興味がなくなり、音楽界のことはあまり耳に入らなかった頃に、友達が「これ、いいよ」と言ってケニー・Gを聞かせてくれた。

まさに“目からうろこが落ちた”心境だった。へ〜え、最近の音楽家もいい音楽を作るなあ、と思ったのだ。それ以来、ケニー・Gの演奏を聞く度に、その頃を思い出す。

彼はバンクーバーに近いワシントン州‥シアトルの出身だ。有名なクインシー・ジョーンズも10歳からシアトル近くの町に住んでいて、ワシントン州もなかなか音楽家が賑やかだ。
 2013年12月

Mr. Lonely
ボビー・ヴィントン

童顔と甘い声で女性に人気のボビー・ヴィントンが歌った1964年の大ヒット曲。

この曲は、東京FMのラジオ番組 JET STREAM のテーマ曲にも使われていたため、私はよく聞いた。あれはフランク・プゥルセル・グランド・オーケストラの演奏だったらしい。今は溝口肇というチェリストの演奏が使われているということだが、聞いてみるとチェロもいいねえ。

それにしても、あの番組が今でも続いているとはちょっと驚いた・・・σ(^^)。

2013年11月

It's A Sin To Tell A Lie
パット・ブーン

1936年に作られた古い歌で、ビリー・ホリデイ、トニー・ベネット、ボビー・ヴィントンなど何人もの歌手が歌った。日本でもフランク永井が歌ったのを聞いたことがあるが、なかなかよかった。

ここでは、昔、私が買ったレコードに入っていたパット・ブーンにリンクしてみた。他のベテラン歌手に比べて、最近はあまりパット・ブーンを聞くことはないが、当時はけっこう人気があってプレスリーの向こうを張る感じもあった。

歌詞はこちら

2013年10月

A Bird Without Wings 歌詞
ケルティック・サンダー

父と子の愛情を歌ったこの歌は、アイルランドのグループ「ケルティック・サンダー」のデイミアン・マッギンティー Damian McGinty が何年か前に歌ったもの。

後で父親役になっているのはグループのリーダー格ジョージ・ドナルドソン George Donaldson。グループはメンバーが何人か変わり、あどけなさのあった McGinty も今ではだいぶ大人びて、グループを離れて活動しているようだ。

この曲を含めてグループのほとんどの曲を、アイルランドの作曲家フィル・コウルター Phil Coulter が作曲している・・・映像中、指揮をとっているのも彼のようだ。なお、この人は、エルビス・プレスリーの「My Boy」(1973)を作曲するなどして、これまで、いろいろな賞を受賞しているらしい。
2013年9月

アルハンブラの思い出
アンドレス・セゴビア

久しぶりにこの曲が聞きたくなった。私が中学生の頃、ラジオから流れてきたこの曲を聞いて、なんときれいな曲かと思ったのを覚えている。

曲全体をトレモロ奏法で奏でられるこの曲は、1896年にスペインの作曲家・ギタリストのフランシスコ・タレガが作った。トレモロ奏法とは、右手の薬指、中指、人差し指で一つの弦を繰り返しすばやく弾くテクニックだ。親指はバス声部と伴奏の分散和音を担当する。

アンドレス・セゴビアスペインのギタリスト。田舎の楽器と見られていたクラシックギターを、クラシック音楽のレベルまで引き上げた功労者と言われている。それまで主流だった指で弦を弾く方法ではなく、爪で弦を弾く独特の奏法をあみだした。
2013年8月   

夕ぐれの河に
小椋佳

最近、夕ぐれの景色を撮るチャンスがなんどかあった。そんな写真集を見ていたら、この曲が頭に浮かんだ。そこで、こんな YouTube を作ってみた。

小椋佳の“眠ったくなるような”曲の一つだが、いつもながら、彼の曲は聞けば聞くほど味が出てくる。私の好きな曲の一つだ。

写真は、グラウスマウンテンの麓からのサイプレスマウンテン、クリーブランドダムからのライオンズピークス、アイオナビーチ付近の海岸から見えるセイリッシュ海 Salish Sea (ジョージア海峡)の夕ぐれ、フォルスクリークから臨むダウンタウンのビル群などだ。
 2013年7月 

ふるさとの山
古賀力
20代前半の頃、銀座にあったシャンソン喫茶「銀巴里」によく通った。若いシャンソン歌手の登竜門のようなところで、金子由香利、丸山明宏、仲代圭吾(達也の弟)らがここから巣立った。

ある時、なにかの縁で店のオーナーという人からLPレコード「シャンソン・ド・銀巴里」をもらった。店によく出演していた人たちの歌を集めたアルバムだ。

どの曲も良かったが、中でも私は古賀力が本場のシャンソンを自ら訳しして歌ったこの歌が好きだった。原曲は、Jean Ferrat の「La montagne」。

2013年6月 

I Can't Stop Loving You
レイ・チャールズ
1962年の大ヒット曲。中学生だった私は、ラジオ関西の「電話リクエスト」を毎晩夢中で聞いていた。7時から9時までの番組で、「灘の○○さんから、生田の△△さんへ、レイ・チャールズの I Can't Stop Loving You を送ります」なんていう具合で、リスナーが好みの音楽をリクエストして友達に送るのだ。

群馬県の山村でなぜ神戸のラジオ局が聴けたのかさっぱりわからない・・・(^_^;?。ともかく、夕方になると突然電波が入りだした。おかげで、関西地方の地名をたくさん覚えた。垂水、須磨、長田、生田、灘、葺合、吹田、宝塚、相生などなど・・・(^_^)。

そういえば、あの時、私が使っていたラジオには「国民受信機」と書いてあった。そのうちに親が見かねて、もう少しましな“ラジオ”を買ってくれたっけ・・・(-。-;)。それにしても、あの国民受信機どうなったんだろう。まだあれば、かえって値打ちものだけど・・・(^_^;?。

2013年5月
さくら(独唱)
歌:クリス・ハート 
作詞・作曲:森山直太朗
5月1日にプロ歌手としてデビューしたクリス・ハート。サンフランシスコ・ベイエリアの中学校で日本語を勉強して以来、日本と日本の音楽の大ファンになってしまったアメリカの青年(28才)が、2009年に日本に移住して四年、ようやく花を咲かせようとしている。

ジャズ・べーシストの父親とクラッシック・ピアニストの母親の元、クリスは幼い頃からクラシック音楽のトレーニングを受けた。12歳のとき中学校で日本語科目を受講してから次第に日本文化に興味を覚え、特にケーブルTVで日本のポップスを聴いて大きな影響を受けた。

どんどん日本への想いを膨らませたクリスは、13歳の夏休みに筑波市にホームステイした。二週間余りの滞在だったが、日本人の親切心や優しさが忘れられず、アメリカ帰国後に日本への“ホームシック”にかかった・・・(^_^;。

クリスの歌をもっと聞きたい方はこちらへ。
2013年4月
ピレネーの山の男
歌:岡本敦郎 
作詞:西條八十 作曲:古賀政男

子供の頃、兄がよく歌っていたのを聞いて私も覚えた・・・(^_^;。とてもいいメロディーで全然演歌っぽくないが、以外にも古賀政男の作曲だ。ピレネー Pyrenees とは、フランスとスペインの間にある山脈。
2013年3月
ゴンドラの唄
フランク永井
歌詞

特にリクエストがあったので、今月はこれにした。大正4年の作品(吉井勇作詞 中山晋平作曲 唄松井須磨子)ということで、私には“古すぎる”のだが、フランク永井は好きだから、まあいいか・・・σ(^^)。ともかく、彼が歌うと、どの歌も素晴らしくなってしまう。

そういえば、このあいだ田舎の旧友が「命短し恋せよ老人・・・」なんてスカイプ・チャットに書いてきた。この歌のもじりとは思いもせず、なかなか面白いことをいう、と変に感心した・・・(^^ゞ。「恋せよ老人」とは、要するに、いつまでも若くいようってことだろう・・・賛成・・・\(^o^)/。
2013年2月
テネシー・ワルツ
パティ・ペイジ
歌詞

元旦に、パティ・ペイジが85歳で亡くなった。いくつもヒット曲を飛ばした彼女だが、なんといっても、この歌が最大のヒット曲だった。1950年にリリースされると十数週間にわたってヒットチャート1位の座にあり、レコード売上げ枚数は600万枚に達して1950年代最大のヒットを記録した。

私はまだ小さな子供だったが、群馬の山里でもラジオで放送されていたのだろうか、いつの間にかメロディーを覚えていた。懐かしい歌だ。
2013年1月
What a Difference A Day Makes
ダイナ・ワシントン
歌詞

昔、ジャズっぽい曲が好きになり始めたころ耳にした曲だ。ダイナ・ワシントンが、「昨日までは暗い日々を送っていたのに、あなたが現れた途端、陽がさし花が咲きはじめた・・・。たった24時間という短い時間がこれほど私を変えるなんて・・・」と、愛を歌いあげている。

日本語版では「縁は異なもの」とされていたらしいが、どうもしっくりしない。洋楽なのに、演歌に出てきそうな日本のことわざを当てはめたのが、合わなかったのかもしれない・・・(^_^;)?。
2012年12月
コーヒー・ルンバ
ウーゴ・ブランコとアルパヴィアヘラ

これまた、古〜い曲が出てきた。アルパ奏者のウーゴ・ブランコ(Hugo Blanco)の演奏で世界的にヒットした。原曲は、ブランコの叔父でベネズエラの作曲家ホセ・マンソ・ペローニがコーヒーをモチーフに1958年に作詞・作曲した「Moliendo Cafe」(コーヒーを挽きながら)だ。

私は中学生のころ、ラジオ関西の音楽番組「電話リクエスト」でこの曲を毎晩聞いていた。群馬県の山奥で、なぜかラジオ関西の電波が入った・・・(^_^;)?。
2012年11月
誰もいない海
トワ・エ・モワ
懐かしい歌を見つけた。元々は、ジェリー伊藤という日系アメリカ人歌手のために書かれた曲らしい。その後、シャンソン歌手の大木康子、越路吹雪、トワ・エ・モワらが歌って競作となったが、トワ・エ・モワのが一番ヒットした。

木々がすっかり紅葉して、バンクーバーもすっかり秋の気配だ。

今はもう秋〜、誰もいない海〜・・・。
2012年10月
鈴懸の径
鈴木章治 ほか
この曲、秋にあってるかも・・・(^_^)。

友と語らん 鈴懸の径 通いなれたる 学舎の街 やさしの小鈴 葉かげに鳴れば 夢はかえるよ 鈴懸の径.

友と語らん 鈴懸の径 通いなれたる 学舎の街 やさしの小鈴 葉かげに鳴れば 夢はかえるよ 鈴懸の径 鈴懸の径


それにしても、鈴木章治が1995年に63歳の若さで亡くなっていたとは知らなかった。
2012年9月
この空の青さは
小椋佳
私が好きな小椋佳の歌はたくさんあるが、これもその一つだ。ところが、この歌は最近まで YouTube では聴けなかった。それが、探したら出てきたのだ。

著作権に引っかかってすぐに消えるかもしれないから、今のうちに紹介しておこう・・・(^_^;。

2012年7月
ウナセラディ東京
ザ・ピーナッツ

6月15日、ザ・ピーナッツのお姉さん、伊藤エミさんが亡くなった。71歳だったとか。

ザ・ピーナッツは、私が中学生くらいのころからテレビに登場するようになった。私は大ファンという程でもなかったが、次から次へとヒット曲を飛ばす可愛い双子のデュエットはなかなかよかった。「可愛い花」、「キサス・キサス」、「情熱の花」、「悲しき16才」などなど・・・。中でも私は、「ウナ・セラ・ディ東京」が好きだった。
2012年6月
No Regret 悔い無き人生
ジェイニー・カトラー

いつだったか、「ぶつくさ日記」で取り上げたこの歌を、久しぶりに聞きたくなった。子どもが7人、孫が13人、ひ孫が4人いるスコットランド・グラスゴーのスーパーシニア・レディーのスーパーパワーをご覧あれ!

いるんだよね〜、こういう人が巷には・・・(*^_^*)。
2012年5月
Green Fields
ブラザース・フォー

ネットで遊んでいたら、懐かしい歌声が聞こえてきた。ワシントン大学の学生グループから始まったブラザース・フォーが活躍したのは1960年ころだというから、50年以上も前になる。

彼らは、この歌の他にも「遙かなるアラモ」、「7つの水仙」などいくつものヒット曲を生んだ。当時はフォークソングの時代で、他にもピーターポールアンドマリー、キングストン・トリオ、ジョーン・バエズなどが活躍した。

その後、フォークブームは去ってブラザース・フォーもアメリカでは人気が落ちたが、日本ではいつまでも人気を保った。メンバーは変わったが、今でもこのグループはあるらしい。

2012年4月
「春」(「四季」から)
ヴィヴァルディ

今年は、日本もバンクーバーも“冬”が長かった。バンクーバーでは、私が日本へ出発する3月末になっても、“2月のベニスモモ”と“3月の桜”がほとんど咲いていなかった。日本にやってきたら、桃と桜が一緒に咲き始めていた。なんともおかしな気候だ。

そんなへんちくりんな季節の中で、ヴィヴァルディの「四季」から「春」を選んでみた。

2012年3月
Come Fly With Me
歌:マイケル・ブーブレ

カナダ出身の俳優や歌手は多いが、私の住むバーナビー市からも大型歌手が出ている。フランク・シナトラなどのスタンダードナンバーを得意とするマイケル・ブーブレ Micheal Buble だ。

マイケルは子供の頃、おじいさんが楽しむスタンダード曲を聞くうちに曲を覚えてしまったらしい。“自然に吸収した”彼のスタンダードナンバーは非常にスムーズだ。Come Fly With Me もフランク・シナトラの歌だが、マイケルは完全に自分のものにしている。

年令の割には“古風なジャンル”が得意だったため、当初、レコード会社が尻込みして下積みが長かった。しかし、30才を間近にした2003年ころから大ブレークした。2010年にはグラミー賞も獲得し、「シナトラ二世」の呼び声も高い彼が、これから、どんなに大きくなるか楽しみだ。

Michael Buble メドレー
2012年2月
「おくりびと」テーマソング
作曲:久石譲

いつだったか、日本に帰る飛行機の中で映画「おくりびと」を見た。映画をあまりみない私も、この映画にはいっぺんにまいってしまった。飛行中、繰り返して何度も何度も観た。

心を洗われるような素晴らしい映画だった。それとともに音楽がとてもよかった。東北地方の雪山を背景にして流れるチェロがほんとうにきれいだった。こんなすばらしい曲を作るのは誰かと思ったが、それが、初めて名前を知ることになった久石譲だった。
2012年1月
Saudade歌詞
セザリア・エヴォラ
暮に、私が好きだった歌手セザリア・エボラ Cesaria Evora が亡くなった。「大西洋のビリー・ホリデイ」と呼ばれた彼女は、アフリカ西海岸の沖合に浮かぶカーボベルデ地図)で生まれた。下積みがとても長く、カナダのテレビで見られるようになったのも、彼女が50才を過ぎてからだった。

参考:歌手セザリア・エボラ死去(ぶつくさ日記)
2011年12月
ラ・カンパネラ(リスト) 
辻井伸行
国際ピアノコンクールを主催するヴァン・クライバーンをして、「奇跡のピアニスト」と言わしめた辻井伸行。さきごろはカーネギー・ホールでもリサイタルを開いた。これからも大活躍して、どんどん大きくなってほしいものだ。
2011年11月
枯葉(Autumn Leaves) 
(ナット・キング・コール)
いつもながら、11月になるとこの曲がいい・・・(^_^;。いろんな人が歌っているが、ナット・キング・コールにしてみた。歌詞はこちら
2011年10月
しおさいの詩
(歌:小椋佳)
私が初めて小椋佳を聞いたのは学生時代だった。友達が LP を貸してくれた。でも、初めの印象は「なんとも眠ったくて退屈な歌い方なんだろう」だった。でも、何度も聞いているうちに次第に味が出てきて、いつの間にか大ファンになっていた。

この歌は確か、彼のデビュー曲だ。彼の歌はどれもみんないいが、これは特に私が好んだ曲の一つだ。
2011年9月 (2つ目)
September Song歌詞
(歌:ジョニー・ハートマン Johnny Hartman)
1938年にブロードウェイミュージカル "Knickerbocker Holiday" で使われて知られるようになった。1950年には"September Affair"という映画に使われたほか、1990年ころの連続テレビホームコメディー"May to December"でも使われた。また、ナット・キング・コール、フランク・シナトラ、サラ・ボーンなど、たくさんの歌手が歌っている。

ジョニー・ハートマンは、私が高校生の頃
FEN (Far East Network、現AFN)で聞いてファンになり、レコードをずいぶん集めた。実力派の歌手だったが、一般にはあまり知られなかった。私が社会人になってから東京で公演したことがあり、私は喜び勇んで見に行ったが、観客席はかなり空いていた。もう少し早く、あるいは遅く出現していたら、大スターになったかも知れないと言われた歌手だ。
2011年9月 (1つ目)
Men of the Deeps 
Men of the Deeps

カナダのユニークなコーラスグループ Men of the Deeps を紹介しよう。このグループ は、1966年にノバスコシア州ケープ・ブレトン Cape Breton 島で結成された。団員はすべて元炭鉱夫たちで、このグループに入るには、(元)炭鉱夫であることが条件。現在、団員の年齢は30代後半から70代後半まで。。

Men of the Deeps とは、「炭鉱の奥深くで働く男たち」のような意味と思われる。ここで歌われているのは、前半がグループの名前をタイトルにした歌 Men of the Deeps、後半は Their Lights Will Shine だ。Their Lights Will Shine とは、「(炭鉱夫が頭につけた)ヘッドライトが輝く」のような意味だろう。

2011年8月
人が行く (グラシェラ・スサーナ
(作詞:竹田全弘 作曲:山本幸三)
私の好きな彼女の曲がもうひとつ見つかった。曲と共に、”意味不明”の詞がなんともいい・・・(^_^;。

山蔭の道は狭く すれ違う人が行くわ
幼子背にして 過ぎ去るその後姿 
私は見つめていた

涙よりも重いものを背負いながら 行く姿を

荷車のわだち長く 苦しんだあとを見たの
心でどんなによけても ふりかかるものを 
私も捨てられない

空の色で鳥の声が変わるけれど 歩いてゆく

2011月7月
愛の怖れ
(グラシェラ・スサーナ)
アルゼンチン出身のグラシェラ・スサーナは、いまでも日本で歌っているらしい。1953年生まれというから、まだまだ引退する年齢ではない

この歌は大ヒットはしなかったが、私は好きでよく口ずさんだ。それにしても、平岡精二の作曲だったとは知らなかった。私が好きになったのも、彼の曲だったからかもしれない。


2011年6月
赤い河の谷間 Red River Valley
(ジョー・スタッフォード、歌詞
毎年、春になると、カナダ内陸部の河川は雪解けの水で洪水を起こす。今年もひどくて、場所によっては観測史上最悪の大洪水となった。特に、ミネソタ州(アメリカ)からマニトバ州を北上してウィニペグ市を通り、マニトバ湖にそそぐ Red River は有名で、毎年のように洪水を起こす。

その Red River 付近のマニトバ州で、1800年代後半から歌われてきたのがこの歌。テキサス州付近を流れる別の Red River にちなんで、アメリカ西部劇の映画に使われたためにアメリカ民謡と思われているが、元々はカナダ民謡だ。