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近代日本の父 小栗上野介 小栗上野介の寺・東善寺(リンク)
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小栗上野介関連書籍

小栗上野介(おぐり・こうずけのすけ 1827-1868)は幕末の偉人。作家司馬遼太郎は小栗上野介のことを「明治の父」と呼んだ。また、「日本工業化の父」と呼ぶ人もいる。
 

小栗上野介の像(東善寺)


幕末の1860年、77人の日本人が世界一周した事実をあなたは知っているだろうか。

子供の頃、学校で「咸臨丸に乗って勝海舟ら日本人が初めて太平洋を自力で渡った・・・」と学び、「すごい」と思った。ところが、大人になってからよく調べてみると、咸臨丸の話は誇張で塗り固められていることが分かった。咸臨丸は小栗上野介らの遣米使節団77名を乗せたポウハタン号の護衛船にすぎず、“自力航海”とは程遠い状況で、しかも、「日本人初の太平洋横断」でもなかったのだ。さらに言えば、咸臨丸で最上位の人物は木村摂津守であり、勝海舟は摂津守によって同乗させたもらった存在にすぎなかった。


なにはともあれ、“太平洋を往復しただけ”の咸臨丸よりも、江戸幕府の侍たち77人が日米修好通商条約の批准書交換のために太平洋を越えて渡米し、アメリカ東海岸の主要都市(ワシントン、ボルチモア、フィラデルフィア、ニューヨーク)を歴訪し、さらに大西洋、インド洋を回って世界一周して見聞を広めてきたことの方が、はるかに有意義だったはずだ。それが証拠に、使節団の中で三使節の一人だった小栗上野介は、アメリカの進んだ文明に学んで、帰国後、“新しい日本”を造るために傑出した業績を残している。


<新着ニュース>         
(2018.02.04)Youtube で遊んでいたら、「バルチック艦隊に勝てたのは、小栗上野介のお蔭だってヨ!~幕末に活躍した”明治近代化の父”」という長~い題名の動画に遭遇した。子供にも分かりやすい紙芝居風の作りで、ポイントが抑えられていて、おすすめの動画だ。なお、5:41あたりに出て来る「富岡製紙工場」は「富岡製糸場」の誤り(紙ではなく糸)。

WB01523_.gif (379 バイト) 東善寺

勘定奉行など幕府の要職を歴任してきた小栗上野介は、大政奉還により徳川幕府が終りを遂げると、「もはや自分の役目は終わった」と江戸を引き上げる。そして上州権田村(現在の群馬県高崎市倉渕町権田)に隠棲し、山寺「東善寺」に仮住まいした。彼は余生を村人の教育にささげようとしていたのだ。

ところが、村に住み着いてから約二ヵ月後に、西軍(明治新政府軍)の追っ手がやって来て、なんの罪もないまま処刑してしまう。1868年の春のことだった。

それから約80年後、住職の次男坊として私はこの東善寺で生まれた*。
* 血縁ではない。小栗上野介の子孫は別にいる。
    

WB01523_.gif (379 バイト) 訪米(日米修好通商条約の批准)

小栗上野介が日本の歴史に大きく登場してくるのは、1860年(万延元年)だった。日米修好通商条約の批准を任命された遣米使節団の一員として、アメリカを訪問したのだ。若干33歳だった。
小栗の役割は監察。正使新見豊前守、副使村垣淡路守とならぶ三使節の一人で、重要な役割を担っていた。総勢77名の使節団は、同年1月22日に米艦ポウハタン号で横浜を出港し、ハワイ経由でサンフランシスコに到着。そこから南下してパナマ地峡を鉄道で渡り、アメリカ東海岸の主要都市を歴訪して任務を終える。そして大西洋、インド洋、東シナ海、太平洋を経て8月28日に横浜に帰ってくる。つまり、地球を一周してきたわけだ。その間、上陸した国と地域は、ハワイ、アメリカ本土、パナマ、アンゴラ(アフリカ)、インドネシア、香港などだった。

この長い航海の中で、小栗上野介は進んだ文明を誇るアメリカや、植民地化して現地人がヨーロッパ人に牛馬のように扱われるアフリカの国々、そしてイギリスに支配された中国(香港)などを訪れる。小栗上野介は、日本の将来の姿をそれらの国々にダブらせて見たに違いない。
アメリカ滞在中のフィラデルフィアでは、小栗上野介はアメリカ人も驚くほどの毅然とした態度で貨幣の分析実験を要求して、それまで極端に不公平だったドルと小判の交換比率を是正することに成功する。そのとき、なにごとも白黒をはっきりさせる上野介の態度を見たアメリカ人が、上野介を指して「ノーといった最初の日本人」と評したと伝えられる。
 kenbeishisetsu.jpe (30989 バイト)
ワシントン海軍造船所見学時の遣米使節 1860年4月5日 
前列右から2人目が監察・小栗上野介

WB01523_.gif (379 バイト) 「不平等条約」

日米修好通商条約は、その後明治政府によって「不平等条約」というレッテルを貼られて、いかにも徳川政府の失策であったかのように印象付けられている。果たして失策だったのだろうか。

明治政府を形成した西軍の人たちは、明治維新以前は「尊皇攘夷」つまり「天皇を尊び、外国人を排斥せよ」と叫んでいた。と言うことは、開国不要論を唱えた人たちが、開国を唱える徳川幕府が結んだ条約について、「もっとちゃんとした条約にすべきだった」と文句を言ったことになる。
また、だれでも最初から完璧に物事を遂行するなどできないのは当たり前だ。長い鎖国時代を終えて、これから外へ目を向けようとした徳川幕府が初めて結んだ外国との条約に、不備がないことを期待すること自体が無理と言うものだ。

WB01523_.gif (379 バイト) 横須賀造船所建設

小栗上野介の功績はたくさんあるが、最大のものは「横須賀造船所の建設」だ。「船を造るだけではなく、それを修理する場所が絶対に必要だ」と唱えた小栗は、「船は買えばよい」という幕末の大勢の意見を押えて、これを決行する。

今でも造船所のドックは横須賀に存在する。また、このときオランダから輸入し据えつけられた「すべての機械の元になる機械」スチームハンマー(別名マザーマシーン)は、平成の時代まで約130年間も稼動していた。小栗上野介は130年先まで考えていたことになる。しかも、徳川幕府の終りをすでに予感しながら、あえて横須賀造船所を造った小栗上野介は、徳川幕府のためにではなく日本のためにそれを造ったのだ。
その後、横須賀造船所は日本の工業全般の基礎となる。

WB01523_.gif (379 バイト) 咸臨丸のウソ

子供のころの小中学校の歴史の授業では、咸臨丸勝海舟の名前が必ず出てきた。「初めて日本人が太平洋を自力で渡ったときの船」ということで、咸臨丸を「すごい」と思った。

ところが、実際には、咸臨丸は遣米使節団を乗せたポウハタン号の護衛船でしかなかった。しかも、サンフランシスコへの往路はとても「自力で渡った」とはいえないのが実情だったのだ。アメリカ人ジョン・マーサー・ブルック大尉と彼のアメリカ人部下10名、通訳のジョン万次郎、それに日本人数人が働いて操船したが、大半の日本人は船酔いで役に立たなかったからだ。
私たちが読んだ小中学校の教科書には、咸臨丸が護衛した使節団本隊による「世界一周」のことは、まったく触れられていない。「太平洋を“自力で”渡った」ことと比較しても、77人の日本人が「世界一周した」ことの方がはるかに意義のあることではなかっただろうか。

WB01523_.gif (379 バイト) 私たちの歴史観
ほとんどの日本人は、「封建制度から明治維新による民主主義への移行」が"絶対的に"正しかった、と信じていると思う。少なくとも、私はそう思っていた。だから子供の頃、小栗上野介の顕彰運動に励む父を見て、「どうして父は、封建制度から民主主義への移行に“反対した”小栗上野介にそんなに力を入れるのだろうか」と、理解できなかった。

しかし、小栗上野介についてより深く知り、「不平等条約」や「咸臨丸」についての"歴史のすり替え"に気付くようになると、「僕らが学んできた歴史はどこかおかしい」と思い始めた。
小栗上野介も"民主主義"を考えていたと言われる。彼がアメリカで選挙制度について知ることができたためだ。もし、小栗上野介の考えた"民主主義"が達成されていたとして、その後の日本にとって良かったか悪かったかは分からない。しかし、第二次世界大戦まで突き進んでいった日本の姿とは、かなり違ったものになっていたのではないかと思えて仕方がない。

WB01523_.gif (379 バイト) 本当の歴史を伝える

最近思うのだが、「歴史と言うのは自分が年をとればとるほど身近になる」ようだ。

小栗上野介が亡くなってから私が生まれるまでの時間と、私が生まれてから現在までの時間との間に、あまり差がなくなってきている。それどころか、いずれは私が生きてきた時間のほうが長くなってしまうのではないだろうか。そんなことを考えると、子供のころは「自分には関係ないほど昔のこと」と思っていたことも、実はそれほど"遠いこと"ではなく、私たちの時代に大いに関係があることに気付くのだ。


だから、今の子供達にも「僕らには関係ない」と思っているようなことでもできるだけ正しく伝えて、どのようにして今の日本があるのかを知ってもらうようにしたい、そんな気がする。


 WB01523_.gif (379 バイト) 東善寺ホームページ
小栗上野介の功績は、横須賀造船所建設以外にもたくさんある。さらに詳しく知りたい方は、東善寺ホームページへ。

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②リンク先で「メールアドレス」を記入して「解除」ボタンをクリックする。これだけだ。
たぶん、宣伝メールが来る度にこの方法を4~5回行えば、宣伝メールはまったく来なくなる。


 小栗上野介の動画集
Youtube で「小栗上野介」と検索すると、たくさんの動画が
検出される
その中から、いくつかをリンクしてみた。
(注意:埋蔵金を採り上げたものも出て来るが、埋蔵金は
全く根拠のない話なので、無視することをすすめる。)

BS日テレ「歴史捜査」(幕末史から消された男 日本近代化の立役者 小栗上野介の死の謎を追え!) 2016年6月にBS日テレで放送の番組。

小栗上野介の寺・東善寺の住職(ぶつくさ男の兄)がたびたび登場して小栗上野介について語る。画面右下の全画面ボタンで全画面にすると見やすい・・・戻すには Esc(エスケープ)キー。「歴史捜査」のホームページはこちら
NHK 知恵泉 小栗上野介
プレッシャーや逆風を押しのけること、それすさまじく大きな夢を掴むこと!

https://www.dailymotion.com/video/x3vd1ij


子供にも分かりやすい動画 「バルチック艦隊に勝てたのは、
小栗上野介のお蔭だってヨ!~幕末に活躍した”明治近代化の父”




 NHK:その時歴史は動いた「改革に散った最後の幕臣 小栗上野介~
一本のねじから日本の近代は始まった~」



Samurai In 1860's NYC 
イラスト多数!アメリカでの大名行列(万延元年遣米使節)




NHK いっと6けん 群馬県倉渕村 小栗上野介



NHK またも辞めたか亭主殿〜幕末の名奉行・小栗上野介〜



 幕臣小栗上野介里帰り/徳川18代目御成行列



ヴェルニー小栗まつり式典:小栗のまなざし - 小栗上野介公に捧ぐ - 福田洋介作曲

<関連サイト>
万延元年遣米使節団子孫の会
万延元年遣米使節団員氏名 

<ハワイの French Hotel 関連>
Designing Paradise: The Allure of the Hawaiian Resort:万延元年遣米使節団が1860年3月4日~17日の間滞在したホノルルの French Hotel についての記述がある。また、French Hotel を描いた絵も載っている。
Hawaiian Historical Society No. 10 Honolulu in 1853同じく French Hotel についての記述がある。"The French Hotel. This building was situated on
Fort street, above Hotel, though the premises run through to Union street, as they do to-day." と書かれているが、
現在、Union Street はなさそうで、代わりに Union Mall という通りはある。ということで、ホテルはこのあたりにあったのではないだろうか。 

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