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<2006年> | |
風邪をひかないように薄着してね! (2006.12.30) カナダ人と宗教 (2006.12.29) カナダ流田舎ビジネス (2006.12.27) 倒れた木をどうする? (2006.12.26) 町の景観 (2006.12.22) 日本人と英語(1) (2006.12.15) 日本人と英語(2) (2006.12.15) カナダ議会の上院議員 (2006.12.13) 大雪襲来 (2006.11.26) 路線の名称 (2006.11.25) MVPジャスティン・モルノー選手 (2006.11.21) インターネットを知らない人たち (2006.11.21) おすすめの二秒ルール (2006.11.17) 韓国系ショッピングセンター (2006.11.10) マイケル・J・フォックスと米中間選挙 (2006.11.8) 拡大する禁煙ゾーン (2006.11.7) |
ユニークなカナダ版NTT (2006.11.5) 危なっかしい話 (2006.11.4) カナダ人の識字率 (2006.11.3) 13階のないビル (2006.10.30) サマータイムを採用しない日本 (2006.10.28) 世界一住みやすい町、バンクーバー (2006.10.13) 無料の無線LANネットワーク (2006.09.07) 小原庄助さんになろう! (2006.8.31) 大陸横断鉄道の列車を停めた日本人 (2006.7.23) 猛暑到来 (2006.7.22) カナダ人のパーティ (2006.5.18) 連続降雨記録ならず! (2006.1.16) |
<2005年> | |
空洞 (2005.11.14) 電話番号でも届いた手紙 (2005.9.20) |
カナダの国営放送 (2005.7.13) バンクーバーで反日デモ (2005.5.5) カナダのプロスポーツ選手 (2005.4.22) スーパー異変 (2005.1.9) |
<2004年> | |
フィッシング詐欺? (2004.12.9) |
カナダへ移民したいアメリカ人 (2004.12.8) |
<それ以前> | |
全額取り戻してくれたVISA (1995年ころ) 絶対に謝らないカナダ人 (1990年ころ) 飲んでから乗る?乗ってから飲む? (1985年ころ) |
群馬交響楽団 (時期不詳) 日本からの珍客たち (時期不詳) サラという女の子 (1988年ころ) |
風邪をひかないように薄着してね! (2006.12.30)
私はカナダに来てからめっぽう寒さに強くなった・・・暑さには逆に弱くなったが。
もうだいぶ前になるが、姉や両親がやってきたときのことだ。5月下旬だった。みんなで市内観光やビクトリア観光に行った。ところが運転していて暑くてたまらない。で、少し窓を開けると姉たちが「寒い〜!」と悲鳴を上げる。しかも、私は半袖短パン、姉たちは長袖だ。
私は、4月末から10月初め(*)までは、家ではもちろん外出するときも半袖短パン。バンクーバーの気温は冬は零度前後まで下がるが、ほとんど暖房を入れない。たぶん一冬に10日くらいしかヒーターを使わない。それでいて、室内では上も下も二枚しか着ない。もちろんセーターなど着たことがない。隙間風の入りにくいコンドミニアム(マンション)とは言え、自分でも不思議なほどだ。
それとともに、カゼをひかなくなった。ひょっとすると10年くらいひいていないかもしれない。なぜかなと思うのだが、やはり薄着と関係があるように思う。つとめて薄着にしてきたわけではないが、だんだん厚着するのが面倒になってきたのだ。
そんなわけで、最近では「カゼをひかないコツは薄着」とか、「室内外の温度差が大きいほどカゼをひきやすい」などというユニークな持論を確立しつつある。よく言う「カゼをひかないように暖かくしてね」は間違いだと思うのだ。あたってるだろうか・・・(^_^;。
(*)バンクーバーの冬の気温は日本に比べると低いが、赤外線が日本の5〜6倍あるといわれるので、陽が出るとけっこう暖かくなる。1992年の春だったが、エルニーニョがあって晴天が続き、日に日に暖かくなった。そして、4月の第一週には、イングリッシュベイの浜辺で人々が水着になって日光浴をしていた。気温は20度も行かないが紫外線のおかげで平気なのだ。カラフトの真ん中くらいのバンクーバーでこんなことができるとは、日本の人たちには想像できないことだろう。気候風土というのは本当に面白い。
カナダ人と宗教 (2006.12.29)
この時季になるといつも、カナダの国会議事堂にクリスマスツリーを飾るべきか否かが話題になる。ますます多民族国家になっていろいろな宗教の人たちが住むカナダなのだから、国の行事に宗教性を持ち込むべきではないと言う意見があるのだ。それも、Visible Minority (*)(ビジブル・マイノリティ)の人たちではなくむしろ"白人"から、そうした意見が出てくる。
それと似た話だが、以前はこの時季のあいさつは「メリークリスマス」と言うのがふつうだったが、最近は「ハッピーホリディーズ」という人が多くなっている(**)。クリスチャン以外の人に配慮しているのだ。また、何年か前には当時の国会議員スベン・ロビンソン(***)が、「カナダ国歌に使われている God (神)と言う表現は削除すべきだ」と言ったことがある。これらの事を聞くたびに、カナダ人のリベラルな気風を強く感じる。
(*)Visible Minority (肌の色で識別できる少数派=白人以外の人種)
(**)アメリカでも「ハッピーホリディーズ」派が増えてきていたが、ブッシュ政権になってからその保守色を反映して「メリークリスマス」に逆戻りしているとか。
(***)スベン・ロビンソンは、私の住む Burnaby 選出の元国会議員(新民主党)。数年前に解決済みの窃盗事件を公表して議員辞職し、その後の選挙でも落選した。しかし、まだ50代前半なので復活するかもしれない。カナダでは有名な論客・活動家。カナダには自らをゲイと公表している国会議員が数人いるが彼はその1人。なお、窃盗事件は、数十万円の宝石を店の陳列棚から盗んだがすぐに店に返したというもので、山岳遭難事件の精神的な後遺症が窃盗癖の原因と分析されている。また、彼の父親はベトナム戦争に反対してアメリカから家族を連れてカナダに移住した。スベン自身もアメリカ生まれで、いまだにアメリカ国籍を持つ二重国籍者(カナダ・アメリカでは合法)らしい。
カナダ流田舎ビジネス (2006.12.27)
ジョギング・スーツを探しにメトロタウンのショッピングモールに行った。まず、シアーズデパートに入ってみた。いつもながら閑散としていて品物も整頓されていないが、ジョギングに使えそうなのがけっこうある。ところが、ほとんどが X サイズか XL サイズだ。これじゃあ着られない。私(172cm、72kg)は日本ではどちらかと言うと L サイズだが、こちらでは S なのだ。あきらめて、こんどは SportMart とかいう大きな店に入った。ここもほとんどが X か XL だ。ベイデパート(*)に入ってみたが、これも同じ。そのあとさらに2軒くらい行ったがみんな同じだった。
衣類を買いに行くといつもこんな具合だ。バンクーバーの人口200万人のうち40万人は中国人(***)だし、そのほか、フィリピン人、韓国人、日本人など「小柄な人種」がとても多い。それに白人でも私より小柄な人はけっこういる。それなのに S サイズをほとんどそろえない。
どんなサイズが売れているのか調べてないのだと思う。顧客のニーズなどどうでもいいカナダ流"田舎ビジネス"の典型だ。「こんな店、日本へ行ったら3日でつぶれる・・・」そんな"捨て台詞"をぶつくさ言いながら、何も買わずに帰ってきた・・・疲れる。
(*)「ベイ」デパートはカナダの大きな企業系列ハドソンズ・ベイ・カンパニー(Hudson's Bay Company, HBC) の一つ。HBC は17世紀にイギリスで設立された会社で北米最古の会社だ。名前はカナダ東部にあるハドソン湾 Hudson Bay** から来ている。HBC はビーバーやカワウソなどの動物を獲って毛皮を作る会社だった。カナダ東部から始まって、それまでインディアン以外は足を踏み入れたことのないカナダの大地を西へ西へと開拓し、ついには西海岸までたどり着いたのだ。
インディアンとの摩擦でいろいろ事件を起こした,り、乱獲で何種類もの動物が絶滅寸前まで追い込まれたりとマイナス面も多かったが、この会社がカナダの歴史を作った一面があることは否定できない。現在でもカナダ各地に「フォート・XXXX」という地名が多数残っているが、これらはいずれも HBC が造った砦から始まった町だ(fort = 砦)。ブリティッシュコロンビア州の州都ビクトリアも,、昔はフォート・ビクトリア Fort Victoria と呼ばれていた。また、バンクーバーから東へ一時間くらい車で行くと、フォート・ラングレイ Fort Langley という町もある。そのほか、州都になっているウィニペグやエドモントンも HBC の交易基地から発達したものだ。
HBC については、次のサイトで詳しく述べられている。なお、このページには江戸時代末期にアメリカ西海岸に漂着した日本人「音吉」たちの話も出ている。
http://www.japanusencounters.net/sub_hudsonsbay.html
また、次のサイトは HBC のウェブサイトの「歴史」部分(ただし英語)。
http://www.hbc.com/hbcheritage/history/overview.asp
(**)世界地図がでたら、左にある縮尺の「+」を2回クリックすると Hudson Bay の文字が出る。
(***)バンクーバー、バーナビー、リッチモンドは特にアジア系が多く、リッチモンドにいたっては60%が中国人。中国人がリッチモンド Richmond を好む理由は"rich man"(お金持ち)に聞こえるからだそうだ・・・まじめな話。中国人は縁起をすごく担ぐのだ。バンクーバーから東へ30分くらい車で行くと Port Moody ポートムーディという町がある。この町の名前を中国語で書くと「墓」と言う字が入るそうで、そのためか、中国人はあまり住んでいないと聞く・・・そもそも、なぜ「墓」などという字を使うのか分からない。
倒れた木をどうする? (2006.12.26)
この冬のバンクーバーは11月末から風の強い日がなんどもあった。時速100km以上の日もあったらしい(こちらは時速表示)。そのため、バンクーバー名物のスタンレー公園ではたくさんの木が倒れてしまった。バンクーバーは年間を通じてあまり風の吹かないところなので、少し風が吹くと木々がすぐに倒れてしまうのだ。皇居の約三倍もある公園のほとんどが針葉樹森だから、どれほどの木が倒れたのかと思う。
その倒木について、今いろいろなアイデアが出ている。公園内の建物の建築に使うとか、ホームレスの人たちの家を造るとか、はたまた、現在ダウンタウンに建築中の国際会議場に使うとかだ。
ヨーロッパ人が住み始めて以来一度伐採され、その後に造られた"二次林"とは言え、直径が数メートルにも及ぶものもある(*)。相当の商品価値があるものが倒れたものの中にもあるのだろう。それにしても、建物一軒建つほどの倒木の量なのだろうかと思ってしまう。どんな用途に使われるのかとても興味深い。
町の景観 (2006.12.22)
TBSテレビのニュース(インターネット版)を見ていたら、京都でビルの屋上広告を規制する条例のニュースがあった。一定の高さ以上のビルにはいっさい広告塔を置いてはならないと言うものだ。広告業界は猛反対。そんな条例を作られたら飯の食い上げだと市側にくってかかっている。しかし、市としては50年100年先の町の景観を考えて今回の条例の設置にいたったと説明して、一歩の譲らず、条例施行は確定的らしい。
バンクーバーではビルの広告にはかなり厳しい条例があって、屋上の広告塔はもちろん、地上近くの広告ボードも数や形、デザインなどがきつく規制されている。だから、ダウンタウンのビル街もかなり整然とした町並みになっている。そんな町に住んでいると、日本に帰国したときに町の広告サインの多いのにいつも圧倒されてしまう。もう少し秩序だった景観作りができないかと思う。
日本人と英語(1) (2006.12.15)
今年も松坂投手、井川投手、岩村選手などが大リーグにやってくることになった。4〜5年たったら彼らは英語が話せるようになるだろうか。答はたぶんノーだ。これまでにやってきた日本人大リーガーで英語のインタビューを受けられるようになったのは、マリナーズにいた長谷川くらいしかいない。
ところがである。他の国からのスポーツ選手はアメリカに何年かいるとかなり英語がうまくなる。スペイン語などのヨーロッパ言語は英語の親戚語だから、それが当たり前だと思うだろう。ところが、5〜6年前にバスケットボールリーグNBA にやってきた中国人選手ヤオ・ミンは、今ではかなり英語を話し英語のインタビューにも応じている。スポーツ選手に限らないことで、バンクーバーでも中国人はけっこうしっかりした英語を話す。
なぜ、こんなに違うのか。なんといっても語順の違いが大きい。日本語では、述語が文章の最後に来るのに、中国語では英語と同じく主語の直後に来る。だから、中国語ではある程度”単語を置き換えるだけ”で文章になるのだ。それが日本人の場合は、単語の順序を変えなければならない。このあたりが日本人にはどうしようもないハンディキャップなのだ。だから、何年外国に住んでいても、よほどの努力をしないとうまくならない。
日本人と英語(2) (2006.12.15)
そんなことを考えると、先日、伊吹文科大臣が外国人記者クラブで言った「英語を低学年から学習するようになったら、日本語の学習がおろそかになりかねない」との発言は歯がゆくてならない。
私は少なくとも小学校4年生からはじめるべきだと思っている。この10年くらいで、私の甥や姪が次々と社会人となったが、そのうちの何人もが日常的に英語を使う仕事についている。それほど英語は”日常的な言語”なのだ。彼らは、「もっと若いころから英語を学んでいたら・・・」と思っているのではないだろうか。
しかも、「英語教育は日本語教育の害」的な理屈も当たっているかどうか怪しい。私自身の経験では、英語を習得することによって日本語を客観的に見る目がついた。たとえば、日本の人たちは日本語はとても”論理的”と思っているだろうが、実際には、英語のほうがはるかに論理的だ。頻繁に使われる英語の代名詞所有格がいい例。英語式に、
「私は私の休みの日に私の娘と一緒に私の家から私の事務所に私の車で行った」
などと”几帳面に”「私の」を繰り返したら会話にならない。つまり、日本語はあいまいなままで良いのだ。そんな日本語の特徴も、外国語を知ることによって初めて理解できる。
大臣は外人記者たちから、「アジア諸国の中でも日本はもっとも英語教育が遅れているのに、このままでもいいのか・・・」と揶揄されていた。「国際会議で英語が最も下手なのはロシア人と日本人」というレッテルは、当分、外せないように思う。
カナダ議会の上院議員 (2006.12.13)
カナダ議会は上院と下院からなる(厳密には、これに国王=イギリス女王(*)が加わるが形だけ)。これまで下院議員は選挙で選ばれてきたが、上院議員は首相の任命によって決められるという"不思議"な形式をとってきた。しかも、いまは75歳定年制があるが、1965年以前までは終身身分という、なんともおおらかなシステムだったらしい
何年か前には、「上院議員のだれそれはほとんど議会に出ない」などとマスコミで批判される人もいた。一応「2回連続で議会会期中の議事に欠席すると失職」というルールがあるのだが、逆に言えば「一回おきに欠席してもいい」ということだから、"甘い"というほかない。
それが、今年初めに自由党から政権をとった保守党(**)が「上院議員も選挙で選出する」と言い出した。とてもいいことで、すんなりと法律が改正されることだろう。
<(*)イギリス女王の代理としてカナダ総督がいる。現在はミカエル・ジャンというハイチ生まれの黒人女性が総督だ。>
<(**)どちらかというとタカ派的で、すでに批准した京都議定書についての"逆戻り"発言や、昨年成立した同性婚を認める法律を"作り直す"ような発言で、話題の多い現在のハーバー首相だが、今回だけは"よいこと"をしているようだ。>
大雪襲来 (2006.11.26)
バンクーバーは意外と雪が降らなくて5センチ降ったら"大雪"なのですが、ついにすごいのがやってきました。昨日の朝から降り始めて、すでに36時間以上降り続いています。さきほど外出したときには20〜25センチでした。でも、これから3日間降り続くのだそうです。もし、その予報が当たったら、私が住み始めて最高の積雪になるかもしれません。これまでの最高は、1989年ころの50センチくらいでした。
町中に動けなくなった車が発生しているそうで、特に州内のトランスカナダハイウェー(国道一号線)は両側にエンコした車が並んで"駐車場"状態だそうです・・・(・_・;。この大雪に喜んでいるのは、雪遊びができる子供たちと、半月以上早いスキーシーズン到来にホクホク顔のスキー場くらいかも・・・。
<予報が見事に外れて、翌日には雪はやみました。でも、気温は11月としては記録的な低さで、今夜は零下11度だそうです。しかも、風がけっこうあるらしくて、体感温度(windchill)は零下25度だそうで・・・ブルブル。冬の一番寒いときでも零下1〜2度がふつうですから、この低さはちょっと珍しいです。>
路線の名称 (2006.11.25)
2010年の冬季オリンピックにむけてダウンタウンと空港を結ぶ電車路線の建設が急ピッチだ。バンクーバー都市圏は、1986年から通勤通学用の電車網(通称 Skytrain スカイトレイン)の拡充を展開してきた。この路線もその一つで、空港がある Richmond リッチモンド市がダウンタウンとつながることになる。
それにしても、どうしてこんなに分かりにくい名前を路線につけるのだろうかと思う。Canada Line 「カナダ線」というのだそうだ。なぜ、Airport Line 「空港線」とか Richmond Line 「リッチモンド線」にしないのか。
いままでに造った二本の路線も Exspo Line 「万博線」(万博があった年に完成)と Millenium Line 「1000年記念線」(2000年を記念して)という。なぜ、行き先の町の名前を使って Surrey Line 「サレー線」とか Coquitlam Line 「コキットラム線」としなかったのだろう。その時々のイベントにちなんでつけたのかもしれないが、それにしても利用者に親切な名称とはいえない。
たとえば、東京の地下鉄が「万博線」、「21世紀線」、「平成線」・・・などとなったら、どの電車がどこへ行くのか分かりにくくて、みんな困ってしまうのだ。何十年住んでいてもカナダ人のやることが分からないときがある。
MVP獲得のジャスティン・モルノー選手 (November 21, 2006)
大リーグのアメリカンリーグで、ミネソタ・ツインズのジャスティン・モルノー選手が最高殊勲選手になりました。彼は、私が住むバーナビー市の隣町ニューウェストミンスター New Westminster の出身です。以前も彼のことを書いたことがありましたが、こんなに活躍するとは・・・。まだ25歳だそうです。
インターネットを知らない人たち (November 21, 2006)
近未来通信という会社が怪しいビジネスをして、マスコミで取り上げられている。多数の出資者からそれぞれ一千万円以上を"巻き上げた"らしいのだ(総額数百億円)。その会社のホームページには、同社のIPテレビ電話を使うと「月額2,000円くらいで使い放題」と書かれている。
Yahooメッセンジャー、MSNメッセンジャー、スカイプなどでは、世界中、無料でテレビ電話ができる時代だ。しかも、スカイプの場合は電話機(携帯電話を含む)自体に組み込まれ始めている・・・つまり、コンピュータを使わなくても使える。そんなことを考えると、近未来社のシステムにまったく競争力がないことは目に見えている。それなのに、そんなビジネスに巨額を出資する人たちがいるのは驚きというほかはない。たぶん、インターネットの世界をまったく知らない人たちなのだろう。
自己防衛のためにも、インターネットを知っておくべき時代になったということかもしれない。
おすすめの二秒ルール (November 17, 2006)
カナダで運転免許を取るときに教わる運転マナーに「2秒ルール」があります。
これは、前の車との間に2秒の間隔を空けて、安全な車間距離をとるためのものです。どういうふうに計るかというと、前の車が何か目印になる物を通過してから、One Thousand One and Two Thousand One と数えます。その間に自分が目印を通過しなければ、十分な車間距離をとっていることになります。もし、その半分くらいで通過したら、かなりの危険運転ということですね。
日本だったら、さしずめ「一千百十一、一千百十二(いっせんひゃくじゅういち、いっせんひゃくじゅうに)」でしょうか。なお、雨の日は3秒ルールになります。目印はなんでもいいです。道路わきのポストでもいいし、道路上に描かれた白線などでもいいです。
この方法はスピードに関係なく使えて、とても理にかなっています。ぜひお試しください。安全運転安全運転!
韓国系ショッピングセンター (November 10, 2006)
バンクーバーの東方20kmにコキットラム Coquitlam という町がある。10年位前、この町のあるショッピングセンターに韓国系の大きなスーパーマーケットができた。急増する韓国系カナダ人を顧客にしてすごい賑わいだ。日本人も何かと便利でよく行く。
最近、そのショッピングセンター全体をアジア系(たぶん韓国系)の会社が買収した。ところが、新オーナーになったとたんに、そのショッピングセンターで数十年にわたって商売をしてきた何軒もの店舗が、立ち退きを要求され始めた。新オーナーがすべての店を韓国系にしたいのだそうだ。立ち退きを要求された店主たち(ほとんどが白人)はあからさまな"人種差別"に怒り、ついに裁判に持ち込むことになった。
以前も、インド系の人たちが多いサレー Surrey の町で、数少ない白人の家にインド系不動産屋が"立ち退きを要求"するなど、似たような話を聞いたことがある。こんなことを聞くたびに、カナダのような多人種国家で"逆差別"を平然とする人たちがいるのかと思うと情けなくなる。昔は白人がアジア系の人たちを差別したことがあったが、それは過去のことだ。今は人種を越えて仲良くする時代なのに。
このような"新しい差別"をする人たちは、何かを履き違えているとしか思えない。
マイケル・ジェイ・フォックスとアメリカ中間選挙 (November 8, 2006)
アメリカの中間選挙に絡んで、俳優マイケル・ジェイ・フォックスのことが少しニュースになっていたが、彼は私が住むバーナビー 市(バンクーバーの隣町)の出身でカナダ人だ。アメリカの市民権を取ったのかもしれない。取ってないとしたら、アメリカという国は"外国人"が選挙運動に参加してもかまわないほど"心が広い"ということになる。ちなみに、アメリカもカナダも二重国籍を認めている(アメリカはあまり積極的ではないが、はっきり禁じてはいない)。残念ながら日本はまだだ。
そのニュースのことだが、彼はアメリカの中間選挙で、民主党候補者への支持を訴えるCMに出演した。このCMの中で、パーキンソン病による全身のけいれんで左右に揺れながら話すマイケルについて、「自分の症状を売り物にしている」 「彼は芝居をしている」 という批判の声が、共和党や保守派のトークショーホストなどから挙がった。
パーキンソン病にかかっていることを発表したころ、ニュースやトークショーで彼の姿を見たが、たえず身体をくねらせる動作がかなり激しかった。だから、民主党のCMをみても芝居がかっているとはまったく感じない。彼のCMも一役買ったのだろうか、民主党が大きく伸びた。
拡大する禁煙ゾーン (November 7, 2006)
ブリティッシュ・コロンビア州政府は、これまでバーなどで設置が許されていた喫煙コーナーを2008年1月から前面的に禁止する法律を可決した。これで飲食業関係で喫煙が許されるのは、レストランの屋外席だけになる。2010年にはバンクーバー/ウィスラーで冬季オリンピックが開催される。それまでにすべての公共の場所(レストラン、バー、ホテルなどを含む)を禁煙にすべきだという意見も出ていて、今後の進展が注目される。
ブリティッシュ・コロンビア州の喫煙率15%はカナダでは一番低い(カナダ平均は20%)。州政府はいつの日か世界一低い喫煙率にしたいと意気込んでいる。ちなみに、世界で一番低い喫煙率はリビアの4%・・・カダフィさんも意外なところでがんばってる・・・(^_^;。
日本もどんどんさがっていて、2006年8月調べで26.3%(男性が41%、女性が12%)。でも、男性の10人に4人というのはまだ高い・・・。帰国するたびに思うのだが、少なくとも公共の交通機関はすべて禁煙にすべきだと思う。
ユニークなカナダ版NTT (November 5, 2006)
数年前のことだったが、Txxxs という電話会社(以下、T社と呼ぶ)からセールスの電話が入った。ここブリティッシュコロンビア州と隣のアルバータ州にまたがる大きな会社だ。日本で言ったらNTT。
電話は、インターネットプロバイダ・サービスの売込みだった。なんでも、最初の6ヶ月が24ドルで、7ヶ月目から29ドルだという。相場が40ドル位するから、安いと思って加入した。ただし、"電話契約"だけで書面での契約がない。その辺がグレイゾーンだった・・・いま思えば。
6ヶ月が過ぎて7ヶ月目の請求書が来た。見ると39ドルとなっている。電話で問い合わせると、「29ドルなどという料金は存在しません」と、まるで、こちらを小ばかにしたような態度。頭にきて、なんども電話して事細かに最初の"契約"状況を説明するが、一向にらちがあかない。最後はメトロタウンショッピングセンター (Metropolis at Metrotown) の超高層ビルにあるT社のオフィスにまで行ったが、だれもまともには相手にしてくれない。
いい加減疲れ果てて、もちろん契約を解除した。それにしても、T社ともあろう大企業があんな詐欺まがいの商売をするのかとあきれてしまった。そのころ、語学留学でカナダ人の家庭にホームステイしていた姪がきて、「おじさん、T社ってひどいらしいよ。顧客サービスがめちゃくちゃなんだって。みんなぶーぶー言ってる。テレビでもニュースになってるらしい」と言う。さもあらんと思った。
年が明けて2月の終わりころ、郵便受けに大きめの封筒が入っていた。見ると差出人がT社になっている。「?」と思いながら開けてみると、カレンダーが入っていた。ただし、その年のだ。なんと、2か月分が終わったカレンダーを送ってきたのだ・・・あきれて、一言もなかった。友達に聞いてもカレンダーを受け取ったのは私だけだったらしい。その後、電話サービスも他の会社にして、T社からきっぱり"足を洗った"。
つい先日、また、T社のセールスマンから電話があった。「今、キャンペーンをしています。いますぐ当社の電話サービスを契約なさったら、Dell のコンピュータを差し上げます」だと・・・(・_・;。
危なっかしい話 (November 4, 2006)
日本海の向こうの危なっかしい国とか、それにつられた中央政界のお偉方のこれまた危なっかしい話とか、最近いろいろある。どこかで"核のドミノ理論"とかニュースが流れていたが、まさにそんなふうになりそうな雲行き。アメリカでは"身を守るための"拳銃で実はたくさんの人たちが殺されているのだが、東アジアがアメリカ社会のようにになって欲しくないなあと思う・・・。
13階のないビル (October 30, 2006)
日本では、4や9は縁起が悪いと嫌われる。でも、まさか4階や9階のないビルはない。ところが、バンクーバーで13階のないビルは当たり前だ。"調べて"はいないが、アメリカでも同じだろう。そんなところをみると、北米人(白人?)は、日本人よりもはるかに迷信的だなあと思う。私が住んでいるコンドミニアム(マンション)のビルにも13階はない。
サマータイムを採用しない日本 (October 28, 2006)
カナダでは来年からサマータイムの期間が前後に4週間拡大されて、次のようになるそうです。
開始: 3月中旬の日曜日 (どの日曜日か未確認だが、たぶん第二日曜)
終了: 11月第一日曜
最初にアメリカで決定し、なにかと同じシステムにしているカナダもそれに習うということです*。サマータイム拡大の最大の理由はエネルギーの節約なんだそうです。夕方の点灯が一時間遅くなることによる消費エネルギーの節約ということですね。
それにつけても、日本がサマータイムを採用しないのが不思議でなりません。小学生のころ学校で「日本は資源のない国だから、資源は大切にしないといけません・・・」などと教わりました。なのに、一番簡単にできるエネルギーの節約システムを活用してこなかったわけです。日本でも、第二次世界大戦の直後に一度採用されたが数年で廃止になったのだそうですね。もし、あれから60年近く継続されていたら、どれほどのエネルギーが節約されたでしょう。
先進国で夏時間を採用していない国は日本くらいではないでしょうか。資源がわりとあるアメリカやカナダが採用して、資源のない日本が採用しない。逆ですね。どうも理屈に合わない・・・。地球温暖化の観点からも、なおさら理解できません**。もはや個人の好き嫌いの次元の問題ではないのですが・・・。それに経験してみれば、サマータイムはとても便利です。
* 一緒にしておかないといろいろ不便があるからであって、"カナダはアメリカの属国"という意味ではありません。それどころか、カナダはイラク戦争に参戦しないなど、アメリカとはいろいろな点で一線を画してやってきました。
** 日本でサマータイム論議が始まると、それに反対する人たちが必ず言うことは、「日没が遅くなると残業が増える」です。本当にそうなのでしょうか?「夏は日が長いので労働時間が長い」などという"統計"は聞いたこともないし、冬、日の短いときに外が暗くなったらみんな早々に退社するかといったら、そんなことも聞いたことがありません。外が暗くなっても、いつまでも残業しているではないですか。要するに、まったく根拠のない理屈です。
無料の無線LANネットワーク (September 7, 2006)
こんなニュースがありました。「トロントでは、市の中心部に無線LANネットワークを張り、無料(*)でそれを利用できるようにする。将来的には市全域に広げる」
つまり、無線LAN対応のノートパソコンを使えば、ネットワーク内で誰でもインターネットにアクセスできるわけです。すでに、首都オタワやバンクーバー郊外のウィスラー、それにフレデリクトン(ニューブランズウィック州)などでは、無線LANネットワークが張られているそうです。いったん始まったこうした波はどんどん広がるでしょうから、ここバンクーバーでも同様のネットワークが張られるのは時間の問題ではないかと期待しています。
(*)当初、「完全無料」のように報道されていましたが、実際には最初の試験期間だけ無料と言うことのようです・・・残念。フレデリクトンなどでは無料ですが・・・。
関連ページ: Toronto Goes Wireless
小原庄助さんになろう! (August 31, 2006)
長年カナダに住んでいると、こちらの生活習慣がいろいろ身につきます。
なかでも、私が好きなのは朝シャワーを浴びる習慣です。子供のころは朝が弱くて、よく朝寝坊して朝食もとらずに学校へ飛び出していったりしたものですし、社会人になってからも朝は朦朧とした気分で電車に乗る毎日でした。それが、こちらに来てからは朝シャワーのおかげで早起きがまったく苦にならなくなりました。それほど、はつらつとした気分になれます。
ところで、日本にいたころ「日本人は風呂によく入って清潔好きだ」と聞いたことがありますが、実はこちらの人も負けずに清潔好きです。なぜなら、日本では毎日風呂に入らない人はけっこういると思いますが、こちらで一日に一度もシャワーを浴びない人はまずいないからです。特に夏は一日になんども浴びる人も多いです。
朝シャワー、最高!おすすめします。
大陸横断鉄道の列車を停めた日本人 (July 23, 2006)
Jさんはベテランの旅行ガイドです。
その日は、バンクーバーのホテルから日本人のご夫婦をバンでVIA鉄道(カナダ版JR)の駅にお連れする簡単な仕事でした。ホテルのロビーに行くと、ご夫婦がお待ちでした。チェックアウトを済ませてお客様をバンにお乗せしました。
ホテルを出て10分くらいでVIAの駅舎につきました。お客様はこれから、大陸横断鉄道でロッキー山脈の町ジャスパー Jasper に向かいます。予定どうりご夫婦を客車にご案内しました。客車と言っても、長距離列車ですのでちょっとした個室になっていて、ベッドまであります(アガサクリスティーの映画「オリエントエクスプレス殺人事件」などでありましたね)。
お客様に食事の時間とか、ボーイさんへのチップの払い方とかを教えてから、ころを見て列車から降りました。列車がそろそろと動き始めました。お客様の窓が通過するあたりで手を振ってお別れしました。「さて帰ろうか」。駐車してあるバンに戻りました。ふと、お客様が座っていた座席のほうを見ると、なんとお客様の荷物が座席の下に一つ残ったままではないですか。さあ、大変!
Jさんは考えました。ひょっとすると80キロ先の、ミッション Mission 駅で追いつくかもしれない、追いかけよう!彼はどんどん飛ばしました。ところが、事故でもあったのか道路が大渋滞です。結局、Mission駅近くまで来てから、間に合わないことに気がつきました。じゃあ、どうする。また考えました。ひょっとしたら、40キロ先のアガシ Agassiz駅で追いつくかもしれない。また、どんどん飛ばしました。ところが、この間は距離が短いためもあって、間に合いそうもありません。それに、国道一号線からかなり外れてしまうので、Agassiz駅まで行って間に合わなかった場合には、国道に戻ってくるだけで相当時間を食われます。
Jさんは決断しました。え〜い、ボストンバーBoston Bar まで行こう!Boston Bar はそこから約90キロ先です。しかも、40キロ先のホープ Hope の町からは海岸山脈の真っ只中。フレーザー河の峡谷を縫うように走る国道一号線は狭くて曲がりくねっています。その上、カナダの夏は昼が長いとはいえ、午後8時を過ぎては太陽もかなり傾いています。でも、そんなこと考えているひまはありません。ともかく飛ばしました。バンクーバーを出てから約4時間。やっとフレーザー河の谷間の町 Boston Bar につきました。
すぐに駅の事務室に飛び込みました。Boston Bar はたいした町ではありませんから、一人しかいない駅員さんもひまそうです。彼の話をよく聞いてくれました。コンピュータ画面で列車が今どの辺を走っているかまで見せてくれました。ところがです、その列車は Boston Bar に停まる予定はないと言うのです・・・それを先に言ってよ!
万事休す!この上は、さらに数百キロ走ってカムループス Kamloops まで行かねばならないのか・・・と、Jさんは天を仰ぎました。見るに見かねて駅員さんが「ちょっと待て」といいました。列車運行の管轄本部に聞いてみると言うのです。管轄本部は カルガリー Calgary です。早速カルガリーに電話してくれました。しばらくして話がつきました。なんと、Boston Bar 駅に停めてくれることになったのです。ふ〜〜〜〜〜!Jさんはとたんに肩の力が抜けました。
約1時間後に列車は到着して、無事に荷物を列車の荷物コンパートメントに乗せることができました。もう夜10時過ぎでしたので、当のご夫婦はそんな騒動があったとは露知らず、すやすやとお休みだったかも知れません・・・(^_^;。
本日は、カナダの旅行業を支える日本人の活躍の巻き〜でした。こんなことで列車を停めてくれるお国柄、なんとも"大陸的"です。それにしても、カナダの旅客列車は遅い。「広いカナダ、そんなに急いでどこへ行く・・・」かも・・・(^_^;)?
猛暑到来 (2006.7.22)
今年はかなりの冷夏で、先日まで気温が20度前後までしか上がっていなかったのが、この4〜5日、いままでの分を"取り返す"かのような猛暑だ。
昨日は、バンクーバー周辺で30〜33度、一時間ほど内陸の Abbotsford や Chilliwack では35〜36度、さらに数時間内陸のリットン Lytton (*)の町ではなんと44度を記録し、ブリティッシュ・コロンビア州の新記録を達成してしまった。"カナダ記録"はサスカチュワン州のある町で1937年に記録した45度だそうだから、もう少しで"カナダ記録"だった・・・残念!・・・なにが残念なのか・・・(^_^;)?
身体がすっかり"カナダ人"になってしまった私は暑さにめっぽう弱くて、グロッキー寸前。でも、日本に比べたらたいした気温ではないし湿度もぜんぜんない。日本の人たちからは「それくらいでぶつぶつ言うな」などと言われそうだが、本当に暑い。助けてくれ〜!
(*) Lytton からトランスカナダハイウェー(国道一号線)をさらに2時間くらい行くとオカナガンの盆地に到達する。このあたりは、バンクーバー近辺の海岸線と違って非常に雨が少ない。冬は零下20度以下にまで下がる気温も、夏は40度近くまで上がり、砂漠のような気候なのだ。そんなわけで、日本人にはとても信じられないことだが、ガラガラヘビまでいる。
カナダ人のパーティ (May 18, 2006)
久しぶりにカナダ人のホームパーティに招かれた。カナダ人の友達の50歳の誕生パーティだった(カナダ人は10歳ごとの誕生日を大きく祝う)。
場所はダウンタウンのコンドミニアム(マンション)。少し遅れて7時くらいに到着したら、それほど広くないリビングルームとパティオは30人くらいの人たちですでに一杯だった。飲み物、食べ物はすべてビュッフェスタイルだ。私もすぐワインをいただき、リビングの隅に用意されたスナック類をつまんで食べ始めた。一組の夫婦以外は知らない人ばかりだったが、Hi. My name is John. とかなんとか言いながら、みんな気楽に話しかけてくる。
カナダ人(というより白人)のパーティは面白い。椅子やソファは人数分ないのが当たり前だ。もちろんテーブルなども人数分ない。みんな左手に大皿を持っままフォークなどで食べている。ソファや椅子に腰掛ける人もいれば、座るところがなくて立ったままの人たちもいる。皿の食べ物がなくなったら、またビュッフェテーブルに行って食べ物を持ってくる。
ほかの人が立ったままでいても座っている人が席をゆずるなどはしないし、席が空いていればことわることもなく勝手に座ってしまう。"日本流"の譲り合いや遠慮の精神なんかないのだ(*)。逆に言えば、気を使わないでいいから気楽だ。そんな具合で、あっちこっちの席に座っていろんな人と話をする。久しぶりによくしゃべって、11時ころ失礼して帰宅した。
ところで、その日の主人公は来週から2週間くらいリオデジャネイロ(ブラジル)に旅行だそうだ。カナダ人は本当によく海外旅行をする。彼の場合も、昨年暮れに数週間東南アジアに旅行したから、半年くらいでまた海外旅行するわけだ。それも同じところになんどもなんども出かけていく。まるで、なにかに取り付かれたかのように・・・。
パーティの席でもカナダ人は、「どこへ行った」、「あそこはよかった」、「どこそこは寒かった」などと自分の海外旅行の話をよくする。一種のステータスシンボルなのだろうか。日本人はそれほど海外旅行しないから、カナダ人から見たら不思議かもしれない・・・。
(*) ついでながら、カナダ人の食べっぷりのよさにも触れておこう。日本なら、お皿の最後に残った部分はなんとなく食べづらくて、端っこに少しだけ残ったりする。いわゆる"遠慮のかたまり"だ。こちらではそういうことはまず起こらない。新しい料理が出てくると、みんなどんどん取って食べて、最後の"ひとかたまり"もあっという間にきれいになってしまうことがよくある。
連続降雨記録ならず! (January 16, 2006)
残念ながら、新記録なりませんでした。「何の新記録か」って?実は、あと2日間降り続いたら、1953年の28日をやぶって「29日連続雨降り」の"バンクーバー新記録"になるところだったのです。一週間前の予報では「10日くらい降り続く」と言うことになっていたので、絶対に記録達成とみんな思っていました。ところが昨日日曜日の予報が見事に外れて、ぜんぜん降らなかったというしだい。残念!まあ、いい。またいつかチャンスがあるさ・・・(^_^;。
空洞 (November 14, 2005)
一時帰国したついでに、高崎市の脳外科で MRI を撮ってもらった。カナダでは順番待ちで申し込んでもいつになるか分からないのだ。まず看護婦さんが出てきていろいろ説明してくれ、お茶や果物まで出てえらいおもてなしだ。
検査が始まった。工事現場のような「ダダダダー」とものすごい音が頭の辺りでする。「うわ〜、えらいものにかかってしまった〜!」と思ったが、そのうちに検査が終わった。控え室で待っていると、しばらくしてドクターが写真を持ってやってきた。「全般的には問題ないのですが、一つだけ・・・」。私の頭に「?」マークがついて、少しばかり不安になった。「それはですね、小脳の後に小さな空洞があるんです」と言って写真を見せてくれた。たしかに、なにやら、黒っぽい部分がある。ドクターが続ける、「これは非常に珍しいです・・・ほとんど奇形・・・」とまで言いかけて言葉を止めた。あんまりショックを与えてはいけないと思ったのだろう。
なんだか知らないけど、そういうことだったのかと思った。思い当たる節があるのだ。「大きいのが売れる」と帽子屋が喜ぶほどの頭でっかちだし、たたくとカ〜ンカ〜ンと響きがいい。それに、ティーショットのときに頭が動いてバランスが取れない・・・(・_・;。
<今さら言われても、60年近く"空洞つき"で生きてきたんだから、どうってことないわ。>
カナダ人の識字率 (November 3, 2005)
カナダのスポーツ界でちょっとしたニュースがありました。
NHL (アイスホッケーのプロ・リーグ)のチーム、モントリオール・カナディアンズのヘッドコーチを何年もつとめたジャック・デマーズ(60歳くらい)という人が、「自分は字の読み書きができない」と告白したのです。NHL は北米、特にカナダでは日本のプロ野球に匹敵する人気スポーツ。しかも、モントリオール・カナディアンズはスタンレーカップになんども優勝した名門チームです。NHL のヘッドコーチはプロ野球の監督とほとんど同じ意味ですから、まるで長嶋茂雄さんか星野仙一さんが「俺は実は字が読めない」と告白したようなもの。
各テレビ局はいっせいにそのニュースを報じました。といっても、デマーズ氏を悪く言うのではなく、反対に、彼がそのことを隠すのにどんなに苦労し、隠すことにどんなに罪悪感を感じていたかを、同情的に報じていました。そして、彼が今回告白にいたったその勇気をたたえるような感じもありました。ともかく、そんな地位の人が字の読み書きをできないなどと言うことは信じがたいことで、それだけに隠し通すのは並大抵のことではなかったでしょうね。いま、デマーズ氏は、書くほうはまだ心もとないものの、読むほうはかなりできるようになったそうです。なお、読み書きができなくなった原因については、子供のころに父親から受けた虐待による、"心の傷"が原因していたのではないかと報じてました。
カナダの非識字率は日本に比べるとかなり高くて3%強だそうです。つまり、100人に3人以上は読み書きができないと言うことになります・・・高いですね。日本ではほとんど0%だそうです(*)。こちらのテレビなどでは、読み書きのできない人をヘルプするようなグループのコマーシャルがまれに流れますが、まさに非識字率の高さを示していると思います。
(*) 少なくとも文字に関しては、日本人ほど優れた人種は他にいないのではないかと思う。アルファベットは26文字しかないのに、日本語の場合は、漢字、ひらがな、カタカナと"無数"に文字があり、そのうえ、大和言葉を漢字に当てはめた結果、一つの漢字でも読み方がめちゃくちゃある。それをほとんどの人がマスターしてしまうのだ。
世界一住みやすい町、バンクーバー (October 13, 2005)
最近、イギリスの情報サービス企業 The Economist Intelligence Unit が発表したところでは、今年の「世界一住みやすい大都市」はバンクーバーだそうです。世界の127の大都市が調査対象。ありがたいことです。
イギリスの国営放送、BBC のサイトにそのニュースがあります(英語ですが)。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/business/4306936.stm
バンクーバーは毎年、このような統計では上位にランクされます。確かに、冬の長雨(9月〜3月の約6ヶ月間)さえ気にしなかったら、こんな住みやすいところはないですね。実は、私などは雨は大好きなんですが・・・(^_^;。
少し下に BEST TEN が載っていますが、残念ながら日本の都市は入っていません。でも、東京は16位だそうですし、下のほうにも書かれているように、日本の都市はおおむね上位にランクされているそうですから、日本の都市もそれほど悪くないです。
電話番号でも届いた手紙 (September 20, 2005)
リリリーン、リリリーン・・・。電話のベルが鳴った。受話器を取ると女性が話し出した。
「こちらは Canada Post (カナダの郵便局)ですが、あなたは日本から郵便物が来ることはありますか?」
「ありますよ、私は日本人ですから」
「実は、日本から封書が来ているのですが、住所は途中までしか書いてなくて番地がないのです。代わりに、番地のところには電話番号らしい数字が書かれているので、その番号にかけてみました。そちらあてと言うことで間違いないですね。それではお送りします」
次の日、郵便受けに封書が入っていた。確かに Willingdon Avenue, Burnaby, B.C., CANADA までは書いてあるのだが、その前に番地がなくて代わりに電話番号が書かれている。封書は中学の同窓会の案内だった。いったいどうしたんだろう。こんな珍事は初めてだった。
後で分かったことだが、幹事役の友人が同窓会の会場になる施設の人に案内状の配布を頼んだら、なぜか電話番号を番地と間違えたのだった。初めはてっきりその友人が書いたものと思って日本に連絡したものだから、仲間内で大きな"ニュース"になったらしくて、彼にはえらい濡れ衣を着せてしまった。
それにしてもわざわざ電話して確認してくれるなど、サービスの悪いカナダとしては信じられない話だった。これならカナダの郵便局はどこかの国と違って民営化する必要はないかも・・・(^_^;。
カナダの国営放送 (July 13, 2005)
ついに放送業界にも「再編」の波がやってきそうですね。
http://www.asahi.com/business/update/0714/050.html
カナダには CBC (Canadian Broadcasting Corporation) という国営企業(テレビ&ラジオ)があります。ところが、民放と同じでコマーシャルがじゃんじゃか入っていますから、「受信料」などという"変な料金"は存在しません・・・(^_^;。「国営企業が私企業のコマーシャルを流す」ことの良し悪しは別にして、こんな発想は日本では考えられないですよね。上のサイトにあるように、NHK も収入基盤をどこに置くかがとても難しいですが、ひょっとすると完全民営化しかないかも・・・(^_^;)?。
ご存知と思いますが、アメリカには国営のテレビ・ラジオ会社はありません。
バンクーバーで反日デモ (May 5, 2005)
昨日(5月4日)、当地でも中国人による反日デモがありました。中華街から総領事館のあるダウンタウンの西側まで行進したようです。総領事館でもデモ参加者による暴動を懸念して、事前に日本人社会に注意を呼びかけていましたが、さいわい、とても整然と行われて特に問題はなかったようです。
バンクーバー都市圏の人口200万人のうち、40万人以上が中国人です(5人に一人の割合)。私も20数年住んでいて、中国人による"反日運動"を見たのは初めてでした。
普段、当地の"日中関係"はきわめて平穏で、日本人でも中国人と結婚している人も多いです。私は住み始めたばかりのころは、そんな"国際結婚"に少し抵抗を感じていました。しかし、これだけいろいろな人種が一緒に住んでいるところでは、異人種間の結婚は当然のことで、初めのころ人種差別観があった自分が恥ずかしい気持ちです。
カナダのプロスポーツ選手 (April 22, 2005)
今年も大リーグが始まって、イチロー、二人の松井、中村、井口、高津などなど、日本選手の話題も豊富です。ところで、ここバンクーバー近辺からも優秀なプロスポーツの選手が出てきていますので、何人かご紹介します。
Rich Harden リッチ・ハーデン
昨日マリナーズを7回シャットアウトしたオークランド・アスレチックスのピッチャーは、ここの州都ビクトリアの出身です。おととしのシーズン途中から彗星のごとく登場した、現在23歳の若き"準"エースです。大リーグでも数少ない100マイル(160キロ)の速球を投げます。マリナーズは今年このピッチャーにかなりてこずるかもしれませんね。それにしても、ビクトリアとシアトルはフェリーでたった1時間ちょっとなのに、なぜマリナーズが取らなかったのかと悔やまれます・・・(^_^;。
Justin Morneau ジャスティン・モルノー
ミネソタ・ツインズの4番打者、Justin Morneau ジャスティン・モルノーは、私の住むBurnaby の隣町 ニューウェストミンスター New Westminster の出身です。彼もまだ25〜26歳の若手。現在怪我をしていますが、近くスタメンに復帰するでしょう。
(2006年のシーズンではモルノーは MVP の候補にもなっています・・・まだ、誰になるか決定していません)
Jeff Francis ジェフ・フランシス
コロラド・ロッキーズの先発投手 Jeff Francis ジェフ・フランシスは、3年くらい前にここのブリティッシュ・コロンピア大学からドラフトされました。私のところから20分くらいのところの街デルタ Delta の出身です。去年からめきめき力をつけて、ついに先発ローテーション入りしました。近い将来エースになりそうな逸材です。
Larry Walker ラリー・ウォーカー
首位打者をなんどかとったりして野球の殿堂入り間違いなしのLarry Walker ラリー・ウォーカー(セントルイス・カージナルス)は、メープル・リッジ Maple Ridge の出身(ここから30分くらい)。30代後半ですが、まだまだ活躍しています。
Ryan Dempster ライアン・デンプスター
シカゴ・カブスの先発投手 Ryan Dempster ライアン・デンプスターは、セシェルトSechelt の出身(バンクーバーからフェリーで数時間)。
Steve Nash スティーブ・ナッシュ
いまやNBA (バスケット)の代表選手となったSteve Nash スティーブ・ナッシュ(フェニックス・サンズ)はビクトリア出身です。バスケット選手としては小さいですが、ものすごい活躍で毎年オールスターに選ばれています。以前は小さくて弱々しい感じでしたが、髪を長くしたらすごい精悍な感じで余計目立ってきました。
(ナッシュは、2004/05 と 2005/06 の2シーズン連続で NBA の最高殊勲選手になりました)
スーパー異変 (January 9, 2005)
消えた日本産みかん: この冬、当地のスーパーではちょっとした異変が起きています。毎年この時期に大量に売り出される日本産のみかんが、この冬はほとんどないのです。12月初めころ見たという人もいますが、私は一度も見ていません。それと、韓国産のもなくて、売られているのは中国産ばかりです。台風の影響でしょうか?
柿の浸透: かなり以前からこちらに入ってきた二十世紀ナシやみかんに続いて、数年前から柿を良く見るようになりました。Fuyu なんてありますから、冨有柿でしょうか。今でも一個2ドルくらい(200円弱)するナシに比べて、みかん同様、柿はそれほど高くありませんので、東洋系の人たちによく売れているようです(白人はまだ食べ方が分からないかも)。なんでもカリフォルニアあたりで作ってるとか。
秋にでも帰国しない限り楽しめない味覚ですので、私たちにもありがたいです。「熟した柿の実と青くすんだ青空、それに草葺の家」なんて言ったら、すごい日本的な雰囲気でノスタルジックだあ・・・(*^_^*)。
フィッシング詐欺? (December 9, 2004)
先日、私のところに CIBC (私が使う銀行)の者と名乗る男から電話がありました。そして、「サービスを向上させたいと思っています・・・」とか何とか言いながら、「生年月日は・・・?」などと質問を始めるのです。さいわいにも、私は日本のニュースでフィッシングのことを聞いたばかりでしたので、ピーンと来て、何も情報を与えずに電話を切りました。銀行が個人情報を電話で聞くことはありえないですよね。
日本でもかなりフィッシング行為が蔓延しているようですが、アメリカ・カナダはもっとひどいということです。注意せねば・・・(・_・;。皆さんもご注意ください。
カナダへ移民したいアメリカ人 (December 8, 2004)
今日、TBSテレビのインターネット版ニュースを見ていたら、ブッシュ大統領の再選で、アメリカを"見限った"アメリカ人が大挙してカナダに移民したがっていると報じていました。
イラク戦争そのものに反対してきた人、自分の子供たちを将来戦争に送りたくない人など理由はさまざまなですが、泥沼化しているイラク情勢に、嫌気がさしているアメリカ人が少なくないようです。実際、ここブリティッシュ・コロンビア州でも、すでにかなりの数のアメリカ人が移住してきたと、地元のメディアも伝えています。
全額取り戻してくれたVISA (1995年ころ)
私が最初にインターネットを始めたのは1995年ころだった。郵便受けに入っていたアメリカのプロバイダー AOL (America Online) のソフトをインストールして使い始めた。
最初の一月が無料で、翌月からは有料だという。そろそろ一月が過ぎようというころ、AOLの説明書に2ヶ月目からの料金がはっきり書いてないことに気がついた。問合せ用の電話番号に電話して問い合わせると、「一月19ドルで使い放題」という説明。それならと使いまくった。
しばらくして最初の請求書が来た。金額がなんと約300ドルになっている。仰天して AOL に電話したら、「一月19ドル」はアメリカの料金だったことが分かった(*)。「カナダの顧客にアメリカの料金を説明するのはおかしい。まるで詐欺ではないか・・・」と抗議するのだが、一向にらちがあかない。「お前はこれだけ使ったのだから、これだけ払え」の一点張りだ。
よほど頭に来たから、支払いに使った VISA カードの顧客サービスに聞いてみた。「AOL に抗議の手紙を書いて、その写しをこちらに送ってください」という。そこで、アメリカ・バージニア州にある AOL 宛てに手紙を書いた。先方からの返事は相変わらずで、2〜3通同じような手紙を出す羽目になった。ところが、それから数ヵ月後に受け取った VISA のステートメントを見たら、なんと全額を AOL から取り戻してくれていた(**)。
後で分かったことだが、そのころカナダではたくさんの人が、同じ問題で AOL とトラブルになっていたらしい。いま、AOL はますます大きくなって日本にも進出している。そんな大企業が、あのような詐欺まがいのビジネスをすることに驚きを禁じえない・・・私の大企業不信はますますつのる・・・(・_・;。
(*) 電話番号は 1-800-xxxx の無料番号になっていた。この番号では"国番号"がないから、カナダなのかアメリカなのかか分からない。結局、私はアメリカに電話していたのだろう。だとしても、両国でビジネスをしている AOL は、当然カナダから問い合わせがあるのが分かっているはずだから、意図的に仕組まれた詐欺行為だったわけだ。私は額が大きかったから取り返したが、小額の人はなにもしないだろう。それが積もり積もって、AOL はものすごい額を不正に得ていることになる。
(**) クレジットカード会社がここまでしてくれるとは思わなかった。
絶対に謝らないカナダ人 (1990年ころ)
コーヒー屋をやっていたころ、私はM銀行に毎日の売り上げを入れ、そこから毎月C銀行にお金を移して、仕入先などへの支払いをしていました。ところが、C銀行が間違えて私の口座に入れないで、他人の口座に入金してしまいました。それも一度や二度ではなく四度、つまり 4ヶ月間にもわたってです。
ところがです。顧客サービス課のボス、ビル氏は私に Sorry と言いません。文句を言いに行くたびに「分かりました。すぐ訂正します」とは言いますが、謝罪の言葉は一言もありません。もちろん私も「一言くらい謝れ!」というのですが・・・。
ただ、最後の間違いがあったときはそう簡単にはすみませんでした。私が仕入先のW社に発行していた小切手が不渡りになってしまったのです。小切手が不渡りになったら店の信用を失って商売に大きく差し支えます。私はかんかんに怒ってビル氏のところに怒鳴り込んで行きました。「どうしてくれるんだ〜〜〜!」。そしたら、いままで一度も Sorry を言わなかったビル氏が、ついに I am very sorry. と謝ったのです。ちょっと意外なくらいでした。ビル氏はすぐにW社宛てに釈明の手紙を出してくれました。なぜ、このときだけ彼が謝ったのか、今でも分かりません。
まあ、日本人ほど"丸くおさめる"式にしなくてもいいですが、カナダ人ももう少しお客様を大切にしてもらいたいものです。こんな極端な例ほどではないですが、毎日の生活でも、これに似たようなことが良くあります。
飲んでから乗る?乗ってから飲む?・・・ユーコン準州の交通規則 (1985年ころ)
私が住むブリティッシュ・コロンビア州の北にユーコン準州があります。北緯60度から北極海まで広がる最果ての地ですが、最近はオーロラ観光などでけっこう日本からも観光客が来るようです。そのユーコン州について、私がカナダに住み始めて間もないころ、こんなニュースがありました。
「ユーコン州ではこのほど、運転中の飲酒を禁じる州法が可決されました・・・」
ということは、この法律制定後も「飲んでから運転するのはかまわない」ことになります。寒いユーコン州だから、「一杯引っ掛けなくちゃあ運転なんかしていられるか・・・」というところでしょうか・・・(^_^;)?。今でもそうなのかどうか、私は知りません・・・(^_^;。
ユーコン州についてもっと知りたい方はこちらへどうぞ。
群馬交響楽団 (時期不詳)
CBC ラジオ(カナダ国営放送)で音楽を聴いていたら、最後に「Gunma Philharmonic Orchestra (群馬交響楽団)の演奏でした・・・」とかなんとか・・・。「およよ!すごい!」と思ったら、続けて「すばらしい演奏だけど、これはどこの楽団なんでしょう・・・どなたかご存知ですか・・・」みたいなことを言うではないですか。うれしくなって、あとで CBC に電話しようと思いながら、運転中でもあり、いつの間にか忘れてしまった。でも、ふるさと楽団がこんなふうに評価されて誇らしい気分だった。
日本からの珍客たち (時期不詳)
私がカナダに住み始めてから、友達が入れ替わり立ち代り遊びに来る。みんな楽しんで帰っていくが、時には"面白いこと"をやらかしていくのがいる・・・(^_^;。
第一話: M氏はカナダが好きでなんども訪れている。最初に来たころこんなことがあった。
ブリティッシュコロンビア大学の西側はイングリッシュベイに面して、切り立ったがけになっている。そんな地形が適しているのだろう、がけの下の海岸は Wreck Beach という"有名なヌードビーチ"になっていて、夏は数百人ではきかないほどたくさんの人がでる(*)。バトミントンやバレーボールをする人、ビーチの名入れのティーシャツを木の枝にかけて売る人、それに、駅弁のようにコーラやビールを売る人までいて、それはにぎやかだ。もちろん、みんな素っ裸。
そんな光景を見てM氏はすっかり興奮してしまった。「絶対、ビデオに撮っちゃう・・・」「あっちの木陰から撮るから・・・」とかなんとか言いながら、近くの斜面の木々の中に消えていった。さすがに、素っ裸の人たちの目前でカメラを構えるのは気が引けたのだろう。
ところが、いつまでたっても下りてこない。おかしいなあと思いながら、しばらく待っていた。そのうちに、浮かない顔をしてM氏が下りてきた。「いやに時間がかかったね。どうしたの」。M氏は泣きそうな顔で、「で、で、電池が切れちゃった・・・」。
(*) もちろん違法だが、「みんなで脱げば怖くない・・・」かも。考えてみると、日本人が温泉や銭湯がすきなのと共通する部分があるように思えてならない。
第二話: もうずいぶん前だ。田舎から私の旧友が5〜6人やってきた。みんなカナダは初めてだった。
ダウンタウンのデパートにみんなで行ったときのことだ。C氏がトイレに行きたくなった。だが、その階にはトイレがない。下の階にはあるので、彼はひとりで下りて行った。ところがいつまでたっても帰ってこない。私が偵察に行ったが、下の階のトイレにはいない。しかたなく元の階へもどって仲間と待っていたら、やがてC氏が戻ってきた。
「下の階にいなかったようだけど、どこへ行ってきたの」と聞くと、「2つ下の階へ行ってきた」という返事。2つ下の階には女子トイレしかないのだ・・・(^_^;)?。
第三話: 同じグループを、むかし日本人の漁村だったフレーザー河河口の町スティーブストン Steveston のレストランに連れて行った。T氏がトイレに行きたくなった(トイレの話ばかりだあ)。私が指差して「あっちのほうにあるよ」と教えると、T氏はその方向に歩いていった。突然、店中に非常ベルが鳴りはじめた。T氏が Fire Exit (非常口)のドアを開けてしまったのだった。「暗くて Fire Exit (非常口)の文字が見えなかった・・・」ということにしておこう・・・(^_^;。
サラという女の子 (1988年ころ)
私は友人の店でコーヒー屋修行をしていた。店はダウンタウンのビジネスビルの地下商店街にあってかなり忙しく、若い人たちが十数人働いていた。その中に"サラ"という女の子がいた。東部のノバスコシア州出身で、バンクーバーに歌の勉強に来ているということだった。
サラはとても元気のいい子で、よく店のルールを破った。たとえば、ほかの店に個人的に買い物に行くときには、店のエプロンを外していくことになっていた。だが、彼女はエプロンをつけたまま向かいのチョコレート屋にチョコレートを買いに行くのだった。私が小言を言っても、本人はいつもけろっとしていた。
勤め始めてから半年くらいたったころ、サラがあらたまった顔つきで私のところへやってきた。
「私お店やめることになりました。デビューすることになったの。いままでありがとう」
まもなくして、彼女の名前がマスコミに乗るようになった。それからはあれよあれよというまにスターダムにのし上がり、1997年にはグラミー賞をまとめ取りしてしまった。サラ・マクラクランはいまや世界的な歌手。