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(2009年6月)
 
2009年6月、小栗上野介についての講演でアメリカに来る兄をヘルプするため、バンクーバーからサンフランシスコまで初めてドライブ旅行をした。兄をシアトル空港で出迎え、二人でサクラメント経由でサンフランシスコへ行った。兄はサンフランシスコの講演の後、次の講演をするためにロサンジェルスへ向かった。私はその後、一人でバンクーバーまで帰ってきた。総走行距離は 3,500 km だった。
いつかはやってみたいと思っていたカリフォルニアへのドライブ旅行。以前は遠い感じがしていたカリフォルニアも、意外と近いというのが実感だ。地続きだということも"確認できた"し・・・(^_^;。

"運転ばっかり"という旅行だったので、たいして内容はないが、一応、旅行記をまとめてみた。写真集はこちら
日にち 行程 距離 km 行動 摘要 
16(火) バーナビー
Burnaby
(自宅)
240 6:15 am 自宅出発 3時間半かかってもおかしくないのに、2時間40分でシアトル空港に着いてしまった。早朝出発で国境を数分で通過できたのと、シアトル市内がラッシュアワーの後だったがさいわいしたのだろう。 
シアトル
Seattle

(空港)
8:55 am シアトル空港到着  日本から到着した兄を出迎える。無事に会えるか心配だったが、シアトル空港は整然としていて人も少なく、すぐに分かった。
990 10:15 am シアトル空港出発 左にカスケード山脈の火山をいくつか見ながら、主に牧場のような景色の中を走り続けた。南下するにしたがって、樹木が少なくなり乾燥地帯に近づく。昼食はポートランドのベトナム料理。夕食はアシュランド(オレゴン州)の"ビール工場"でピッツァ。 
レディング
Redding

(カリフォルニア州北部)
11:00 pm レディング到着 
(ホテル Quality Inn 宿泊)
17(水) 270 8:00 am レディング出発  
サクラメント
Sacramento
11:00 am サクラメント到着 1800年代の古い町並みが残るオールド・サクラメントを歩き、ポニー・エクスプレスの像を見る。 
80 12:00 pm サクラメント出発 
プラサービル
Placerville
12:45 pm プラサービル到着 エルドラド郡歴史博物館 El Dorado County Historical Museum と「おけいの墓」(学校のすぐ東側の、オークの木の下)を見る。昼食は博物館近くのこれまた"ビール工場"で、"サラダのお化け"。
180 2:30 pm プラサービル出発
ヴァレホ
Vallejo
 
4:00 pm ヴァレホ到着  咸臨丸が修理を行ったメア島の、アメリカ海軍造船所跡地を見る。 
70 4:45 pm ヴァレホ出発
サンフランシスコ
San Francisco 
6:15 pm サンフランシスコ到着
(ホテル Hotel Kabuki 宿泊) 
夕食はジャパンタウンの寿司屋。酢があまり入っていなくて、バンクーバーの寿司屋には完全に負けそうな寿司だった・・・(・_・;。
18(木)  0 サンフランシスコ 滞在(移動なし)
(ホテル Hotel Kabuki 宿泊) 

正午から、北加日本文化コミュニティーセンター(JCCCNC)ホールで、兄が講演
兄の講演は、大成功のうちに終了。昼食はホテル前のレストランに招待された。

講演終了後、現地の人たちと食事をした兄とは別行動で、ホテルに缶詰になって自分の仕事をした。インターネットさえつながれば、どこでも仕事できるのがありがたい。夕食はジャパンタウンのモール内でラーメンギョウザ・・・ギョウザ1個1ドル・・・高いわりにはうまくない・・・(^_^;。夕食後また仕事。
19(金) 80 10:00 am ホテル出発 世話役のSさんの案内で、遣米使節と咸臨丸に関係のある、リンカーンパークバレホ埠頭、タッカー音楽学校跡地、それにコルマの日本人墓地にある咸臨丸水夫三名の墓を見る。昼食は中華街の中華。 
4:15 pm サンフランシスコ空港到着  ロサンジェルスへ向かう兄と、Sさんを空港で下ろし、すぐ帰途に着いた。 
620 4:15 pm サンフランシスコ空港出発
アシュランド
Ashland
(オレゴン州南部) 
(20日)1:00 am アシュランド到着 
(ホテル Motel 6 宿泊)
グーグルマップでは5時間40分の行程だが、80号線がものすごい渋滞で、505号線に入ったのが、7時を過ぎてしまった。結局、アシュランドまで9時間もかかった。夕食はフリーウェー脇のファストフッドで簡単に。 
20(土) 970 10:30 am アシュランド出発 往路はかなり緊張して運転したが、復路は慣れもあってかなり楽に帰ってこられた。ドライブ途中の食事は、フリーウェー脇のファストフッドで簡単に。
バーナビーの自宅  9:30 pm 自宅到着 
総走行距離 3,500 走行距離はもっと長いと思っていたが、意外と短かった。それにしても、仕事期間中なので、アメリカ西海岸の三州(カリフォルニア、オレゴン、ワシントン)をゆっくり見物できなかったのが残念。
* 講演は大成功
18日、サンフランシスコでの兄の講演は大成功だった。当初の予定20人を大幅に上回って、約80人の人たちが熱心に聞き入った。ともかく、小栗上野介や遣米使節のことは、日本の歴史の本には出てこないことなので、みんな驚いていた。

講演が終わって、兄が日本から持ってきた小栗関係の本があっという間に売れてしまった。ともかく、本を机にずらっと並べたら、たくさんの人がど〜っと押し寄せて、どんどん本をとっていく。「あれ〜、集金ができない〜」と悲鳴をあげそうだったが、そこはみなさん、まじめな日本人だ。一人一人お金をきちんと払ってくれた。お釣りが足りなくてまごまごしていると、「お釣りいらないよ〜」と言ってくれた人もずいぶんいた・・・(*^_^*)。

兄はその後、21日にもロサンジェルスで講演したが、これも300人もの聴衆があって大成功だったようだ。講演については、兄が旅行記をまとめるものと思う。
* 西海岸の幹線道路 I5(アイ・ファイブ)
アメリカ西海岸の幹線道路 I5(アイ・ファイブ、Interstate 5)を南下した。カナダの99号線がそのままアイ・ファイブになり、シアトル Seattle、ポートランド Portland、サクラメント Sacramento (サンフランシスコの東方約140キロ)、ロサンジェルス Los Angeles、サンディエゴ San Diego を結んでいる。
* ワシントン州
シアトル空港で日本から到着した兄を出迎える。到着は予定通りの9時半だった。シアトル空港はかなり整然と造られていて分かりやすかった。

両替所で兄と両替をし、そのあと、万一の場合の"中継役"を頼んだリッチモンドの友人に、無事、兄に会えたことを連絡すべく電話した。5分足らずの通話だったが、あとでクレジットカードのアカウントに16ドルもついていたのでびっくり。

空港を出発した。東には、カスケード山脈の最高峰マウント・レーニア Mt. Rainier (標高、約4,400 m)のコニーデ(円錐形)が見え隠れする。タコマ Tacoma やワシントン州都のオリンピア Olympia などを経て、さらに南下した。オリンピアでは州議会議事堂が木々の間からチラッと見えた。オレゴン州に近づくと、東にマウント・フッド Mt. Hood (標高、約3,400 m)が見えてきた。

ワシントン州のバンクーバー Vancouver 市を通過してコロンビア Columbia 川にさしかかった。この川を渡ったらオレゴン州だ。アメリカにもカナダにもバンクーバー市があってややこしいが、実は、ワシントン州のバンクーバー市のほうが古い。いずれも、1700年代の後半に大陸北西部海岸を探検したイギリスの探検家、キャプテン・ジョージ・バンクーバーに由来する名前だ。
* オレゴン州
コロンビア川を渡るとすぐに、オレゴン州第一の都市ポートランド Portland がある。ここでは止まらない予定だったが、ちょっとしたハプニングがあって、フリーウェーを降りてしまった。

ポートランドはウィラメット川 Willamette River を挟んで町ができている。ところが、この川を渡る I5 はかなりきつい急カープで走っている。本線"と思って走っていた左側2車線が、実は、I5 を下りて町へ出る車線だった。曲がりくねっているからサインを見落としたのだろうか。車線変更が間に合わず町に降りてしまった。ちょうどお昼を過ぎていたので、ベトナム料理店で昼食を取った。ベトナムの麺がけっこうおいしかった。

昼食後、またフリーウェーに入った。ところが、これまた急カーブの道路で、すぐに車線変更しないと町に戻ってしまう。目の前には車線を分ける"壁"が見えていた。大慌てで左車線を見たら後続車から距離があったので、間一髪、車線変更できた。兄の悲鳴が聞こえた・・・「壁があ〜」とかなんとか言ったのかもしれない・・・自分では壁との距離には余裕があったのだが・・・(^_^;。

幹線道路だというのに、こんな急カープでは事故も多いに違いない。なんで、バイパスを造らないのかと腹立たしい気分だった・・・(・_・;。後で分かったことだが、実はバイパス(205号線)があった・・・(^_^;。

ポートランドから南は単調な風景が続いた。牧場のような地形の中に、時々、ゲリー・オーク Garry Oak の林がある。あいにく、曇り空で期待していたカスケード山脈の火山はあまり見えない。

夕方、オレゴン州南部の町アシュランド Ashland にさしかかったので、夕食をとることにした。小さな町だが、お祭でもあるのか町には人通りが多かった。内部がビール工場のようなレストランがあったので入ってみた。ピッツァを食べた。兄がジョッキーでビールを注文したら、バケツほどの大きなジョッキーが出てきた・・・(^_^;。兄が「飲みきれない」と言うので、となりのテーブルでにぎやかにやっていた白人女性グループにあげたら大喜びだった・・・(*^_^*)。
* 荒っぽいカリフォルニアのドライバー
サンフランシスコに近づくに従って車線が多くなった。一番多いところで片側7車線くらいあったろうか。カリフォルニアのドライバーは相当荒っぽい。車線変更を私の直前でする。恐いので、速度制限ぎりぎりの時速70マイル(約112キロ)で走っていると、両側をビュンビュン追い抜いていく。その上、車間距離をとらない・・・バンクーバーでは「2秒ルール」*が推奨されているが、カリフォルニアのドライバーは「0.5秒ルール」くらいで走っている。バンクーバーの"田舎道"しか走ったことがない私は、かなり緊張して運転する羽目になった・・・(^_^;。

旅行前には、どこか交通量の少ない道があったら、経験のために兄に運転してもらってもいいかなと思っていた。結局、そんな道路はどこにもなかった。ともかく、終始、緊張しっぱなしの運転だったのだ。もっとも、復路は慣れもあって、それほど神経を使うことなくスムーズに帰ってこられた。

* 「前の車がある地点を通過してから、同じ地点を通過するまで2秒かけなさい」と言うものだ。そのとき、"One Thousand One and Two Thousand One" と数えると約2秒になる。これは、どんなスピードで走っていても応用できるので、とても合理的なやり方だ。
* 涼しいいサンフランシスコの夏
昔、7月にサンフランシスコに行ったことがあり、そのときコート姿の人がいた。だから、今回も予想してはいたが、サンフランシスコはやはり涼しかった。気温20度くらいだろうか。それでも、地元の人たちは通常よりも気温が高めだと言うことだった。

7月〜8月は霧が発生するのでもっと涼しいらしい。9月〜10月に好天が続くのだとか。そして、そのあと4ヶ月くらいは雨季らしい。あの辺で雨季があるとは知らなかった。
* ゲィリー・オーク の木
物の本には、「ゲリー・オーク Garry Oak はカリフォルニアからブリティッシュコロンビア州にかけて分布し・・・」などとあるが、確かに、その通りだった。今回、ワシントン州、オレゴン州、カリフォルニア州と旅してみると、ゲリー・オークがビクトリア以上に目に付いた。ちょっとした林はすべてゲリー・オークの林だ。

別名 Oregon Oak というだけあって、オレゴン州には特にたくさんあった。バンクーバー島のビクトリア Victoria からナナイモ Nanaimo にかけてはたくさんあるが、バンクーバーでは見たことがない。
* あきれたホテル
4月後半に、サクラメント近くのチェーンホテル Extended StayAmerica (ESA)に6月16日からの数日を予約した。5月中旬になって、サンフランシスコへの宿泊に変更されたので、ESA の予約をキャンセルしようとした。

しかし、いくらメールしても返事がないし、なんど電話してもつながらない。10回近く電話してやっとつながった。キャンセルを確認してもらいキャンセル番号ももらった。口約束ではあぶないので、「キャンセル確認のメールをください」と言ったら、すぐにメールが来た。これで"一件落着"・・・と思われた。

ところが、宿泊日直前の6月14日になってESA の予約センターからメールが来た。「6月16日からのお越しをお待ち申し上げます」とあるではないか。おいおい、ちょっと待て!あわてて、またホテルに電話したが、またしても、つながらない・・・つながるときもあるのだが、「少々お待ちください」と言われたあと、"永遠に"待たされてしまう。

10回くらいしたら、やっと通じた。話し方からして、ホテルではなく予約センターのスタッフのようだ。事情と伝えると、しばらくして「今キャンセルしました。キャンセル番号はこれです」と言って新しい番号をくれた。新しいキャンセル番号をくれると言うことは、一月前にはキャンセルされていなかったということではないか・・・(・_・;。

旅行出発の前日15日になって、まだ、すっきりしないので、もう一度ホテルに電話してみた。今度は一発でつながった。メリッサという女の子に状況を話してキャンセルの確認を頼んだ。「お名前は、住所は・・・」などと聞かれた後、「はい、今キャンセルしました」と言う。なんと、昨日もキャンセルされていなかった雰囲気だ。

あきれて物が言えなかった。こんな調子では、後日、ホテル代数百ドルが私のクレジットカードに請求される恐れがある。こちらには"キャンセルの証拠"が取ってあるから、クレジットカード会社に事情を説明すれば取り返してくれるだろう・・・。しかし、その手間がばかばかしい・・・(・_・;。それにしても、アメリカにも、ときどき、めちゃくちゃな商売をする会社がある。