サンフランシスコ旅行記 (2010年11月3日~11日) |
サンフランシスコ旅行記
(2010年11月3日~11日)
友達二人とサンフランシスコへドライブ旅行してきた。今回も、日本からやってきて小栗上野介関連であるシンポジウムに参加する兄をアシストするためだ。簡単に旅行記を書いてみた。Picasa ウェブアルバムを参照。
日にち | 曜日 | 行動 | 宿泊地 |
3日 | 水 | 6:15AM マヤさんをピックアップして、ウーさん宅に集合。ウーさんの新車で出発~~~!。 ポートランド(オレゴン州)で昼食。さらに走って、夕方、Yreka ワイレカ*に到着。運転時間11時間。私も少し運転させてもらった・・・(*^_^*)。実に快適な車で、帰宅してから自分の“クラシックカー”が嫌になりそう・・・(・_・;。天気も素晴らしく、途中、カスケード山脈の火山がいくつも見えた。 * Yreka は読み方が分からず、ホテルのスタッフに「ワイレカ」を確認した。グーグルマップで「イリーカ」と書かれているのは間違い。相変わらずお粗末なグーグルマップさんだ。 |
Yreka ワイレカ (カリフォルニア州) |
4日 | 木 | 早朝(7時ころ?)ワイレカを出発。またしても素晴らしい天気だ。カリフォルニア北部はかなりの乾燥地帯で、あちこちに牧場が見える。 まもなくして前方に Mt. Shasta マウント・シャスタが雄姿を現した。去年、兄とドライブしたときには、夜、通過したため見えなかった山だ。4千メートル以上あるこの山は実に雄大だ。写真をバチバチ撮った。近くのキャッスル・レイクに寄り道し、その途中からもまたバチバチ。 大きな地図で見る 山岳地帯を越えて平野部に入り、昼食は Redding レディング(カリフォルニア州北部)で食べた。また走り始めた。サクラメントまで約2時間だ。南下するにつれてますます乾燥した大地が広がる。オリーブなどさまざまな果樹園があった。サクラメントに近づくと次第に米作農地が増えてきた。地平線まで続く“田んぼ”には圧倒される。 サクラメントを過ぎて、夕方、Placerville プラサービスの町にある「おけいの墓」に着いた。墓のすぐそばにある小学校の校長先生が出てきて、墓への”秘密の通路”を教えてくれた・・・と言っても、私は去年通ったので知っていたのだが・・・(^_^;。墓は、去年と同じく枯れ草の丘にひっそりとたたずんでいた。去年はカラカラに乾いていたが、今年はすでに雨期に入っているためか、地面には緑の草も見えた。 * おけいの墓は、小学校の右に二つある木々の塊のうち、学校寄り(つまり左側)の塊の下にある。敷地全体が柵で囲まれているので地元の人の案内がないと入れない。学校を覗けば、誰かが助けてくれる。 |
Livermore リバーモア (カリフォルニア州) |
5日 | 金 | 10時ころ、サンフランシスコ空港に到着した兄を迎えた。予定よりもかなり早く着いたらしく、私たちが到着してすぐに出てきた。ホテルチェックインが3時なので少し時間を潰すべく、コルマ市の咸臨丸水兵の墓とゴールデンゲートブリッジを見渡す高台にある咸臨丸の碑を回った。ゴールデンゲートブリッジの下にある砦フォート・ポイントにも下りてみた。 昼食はフィッシャーマンズワーフで。そして、ホテルにチェックインし、兄と私はシンポジウム会場 Asian Art Museum of San Francisco に行き、担当者とシンポジウムの打ち合わせを行った。夜は、遣米使節の件で尽力していただいている方のご自宅に4人で招かれた。 |
サンフランシスコ (マヤさんとウーさんは別ホテル) |
6日 | 土 | 兄と私は、8時半に Asian Art Museum of San Francisco に出向き、担当者とシンポジウムの打ち合わせを継続。 10時半からシンポジウムが始まった。何人かの講演者のあと、兄が講演した。聴衆のほとんどがアメリカ人で通訳を必要とするため、やりにくさはあったようだが、分かりやすく展開してかなり良かった。 午後5時からは主催者によるレセプション。それも30分くらいで失礼して、兄が去年行った有名なジャズクラブ"Yoshi's"*に行き、マヤさん&ウーさんと合流。おいしい食事と音楽を楽しんだ。 * 日本人女性が始めた店だ。ご主人は曹洞宗のお坊さんで、去年、兄と私はご夫婦にお会いしている。いまやジャズの世界では「東のブルーノート、西の Yoshi's」と言われるほどなのだそうだ。この日も、グラミー賞を取ったことのある女性歌手が出演していた。 |
サンフランシスコ |
7日 | 日 | 兄の希望で、咸臨丸が修理を行ったメア島 Mare Island の博物館に行った。以前、アメリカの海軍基地があった島だ。 兄が知人から紹介された博物館のガイドさんが丁寧に案内してくれた。かなり高齢のおばあちゃんだったが、とても元気が良い。「足がペダルに届かないのでは」と心配したくなるほど小柄なのに、車もすいすい運転する。その上、ふつうなら入れない区域にまで案内してくれた。 メア島から北回りで、小奇麗な町 Sausalite ソウサリート*の町に行き、お茶を飲んだ。その後、ゴールデンゲートブリッジをわたって帰る。 * Google Map では「サウサリート」と書かれているが、これもかなり怪しい表記だ。もっとも、これはもう”定着”してしまった表現のようだが。 |
サンフランシスコ |
8日 | 月 | レッドウッド redwood の巨木の森 Muir Woods National Monument を見学に行った。レッドウッドはセコイアの一種で、アメリカでは90%が切り尽くされ、今は僅かにカリフォルニアからオレゴンにかけての海岸沿いの森にしか残っていない。 大きな地図で見る 帰途、谷あいに"Zen Center" と書かれている看板を兄が見つけ下りてみた。そこには禅宗の施設があり、人々が修行していた。日本人の方がひとりおられて、施設内をいろいろ案内してくれた。 帰りはまた、ソウサリートによって食事をして帰ってきた。 サンフランシスコに来たのは三回目だったが、過去二回はばたばたとして街をゆっくり見られなかった。今回はわりとゆっくり見られて、街の様子を知ることができた。それにしても、バンクーバーが"坂ばかり”の町と思っていたのだが、それ以上に急斜面があったのにはびっくりした。 |
サンフランシスコ |
9日 | 火 | 9時ちょっと前に、日本に帰る兄をサンフランシスコ空港で見送った。その後、オールドサクラメントに行った。サクラメント市の旧市街は、まるでガンマンがサロンのドアを開けて出てきそうな雰囲気だ。州立の鉄道博物館があったので見学した。 そこから4時間余りかけてマウントシャスタの町までドライブした。ホテル到着後、夜半に雪が降り始めた。 |
Mt. Shasta マウントシャスタ (カリフォルニア州北部) |
10日 | 水 | 朝起きたら、ホテルの屋根や木々の葉が雪で覆われていた。幸い、地面には雪がなく運転には支障がなかった。標高が1,000メートルを超えるとはいえ、バンクーバーからこれ程南下したところで11月に雪が降るとは、まったく想像もしなかった。バンクーバーと異なり内陸の町だからかもしれない。 バンクーバーを出発する前に、マヤさんがこの町に禅宗(曹洞宗)の修行道場 Shasta Abbey Buddhist Monastery があるのを見つけていた。兄にそのことを連絡したら、友人の娘さんの供養をお願いしてきて欲しいと頼まれた。ロサンジェルスに住んでいた娘さんは、2年前にマウント・シャスタで遭難死したのだ。Shasta Abbey は、町外れの林の中にあった。 ウェブサイトでは「訪問者は午後」と書かれていたので、入れてもらえるかどうか分からなかった。しかし、鉄製のゲートについていたインターフォンを押すと、白人の尼さんが出てきて心よく案内してくれた。どうやら”尼寺”のようだった。事情を話し、お線香を上げお包をしてお参りしてきた。 変わっていたのは、屋内ではアレルギー症の人たちのために、お線香に火をつけないことだ。代わりに、屋外(渡り廊下)にある仏像に火のついたお線香を上げた。 それにしても、カリフォルニアは仏教が盛んだ。8日の Zen Center の日本人も言っていたが、アメリカ人には、「在来の宗教は古いが、仏教は新しい」と感じられるのだろうか。世界で“最も平和な宗教”の一つである仏教が広まるのは嬉しいことだ。世界中でどれほどたくさんの人間が、宗教上の争いで殺されていることか。 |
Portland ポートランド (オレゴン州) |
11日 | 木 | 天気予報に反して雨が降らなかったので、ワシントン州に入ってすぐのところにある野生動物の保護区 Ridgefield National Wildlife Refuge リッチフィールド国立野生動物保護区に寄った。 大きな地図で見る コロンビア川に沿った湿地帯は広大で、数キロのコースを車で回る。特定の2ヶ所以外は車から降りてはならない決まりになっている。これは素晴らしいアイデアだった。というのは、車を見ても野鳥は人間と認識しないから、逃げないのだ。車から数メートルのところにワシタカ類がいたりする。 帰りは、シアトルの Uwajimaya で食事をして帰ってきた。Uwajimaya があんなに大きな店になっているとは知らなかった。普通のスーパーのような感じで、日本人以外の一般客でごった返していた。 |
帰宅 |